「高田裕司 (レスリング選手)」の版間の差分

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Ranma9617 (会話 | 投稿記録)
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== エピソード ==
* [[1975年]]に当時の良きライバルであった[[ソビエト連邦]]は遠征した日本選抜チームに対して、各階級で全ソ選手権優勝者クラスを対戦相手に用意したが、フリースタイル52kg級だけは高田の強さが桁違いだったことを知っていた当時のソビエトチーム関係者が国内優勝者の自信を失わせたくなかったため、1ランクレベル下の対戦相手を用意することとした。
* [[1978年]]世界選手権で当時無敵の高田が敗れたのは新鋭の[[双子]]のレスリング選手の[[アナトリー・ベログラゾフ]](ソビエト連邦)だったが、翌年[[1979年]]世界選手権では高田が雪辱し、モスクワオリンピックでお互いに決着をつけるつもりだったので、ベログラゾフも残念であったとのコメントをのちにしていた。
* [[山本徳郁|山本"KID"徳郁]]も一目置く、厳しくまた人情味溢れるレスリング指導には定評がある。