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[[Image:Titus Livius.jpg|thumb|200px|right|ティトゥス・リウィウス]]
'''ティトゥス・リウィウス'''('''Titus Livius''', [[紀元前59年]]頃 - [[17年]])は、[[共和政ローマ|共和政末期]]、[[ローマ帝国|帝政初期]]の[[古代ローマ]]の[[歴史家]]。単に'''リウィウス'''と呼ばれることが多い。[[アウグストゥス]]の庇護の下に著した『ローマ建国史』を著した。<!--文学的にも評価が高い。-->
 
== 出生と業績 ==
リウィウスは、パタウィウム(現在の[[イタリア]][[パドヴァ]])において生まれた。結婚しており最低でも2人の子供がいた。没したのもパタウィウムであり、一部の記録では死んだのは11年または16年-17年であるとされる。
 
リウィウスの企図の規模と巨大さはその最も著名な作品『ローマ建国史 (Ab Urbe Condita)』の直訳したタイトル都市の創設からにも表れている。リウィウスは著述において新たな[[執政官|コンスル]]の選出を告げるために物語をしばしば中断させているが、このような[[年代記]]と[[物語]]を足し合わせたような書き方はローマ人が歴史著述を行う際にしばしば用いる方法であった。リウィウスは[[紀元前387年]]の[[ガリア人]]によるローマの破壊によって生じた[[史料]]の不足が自身の仕事を困難にしたと嘆いている。
 
リウィウスは、[[アウグストゥス]]の治世に作品の大部分を書いたが、彼自身は共和政への強い愛着を抱いており再び共和政へローマが復帰することを望んでいたとされる。ただしこの点については、共和政の終焉及びアウグストゥスの政権掌握までを記したはずの後半部分の巻が失われているため、争点もある。確かにリウィウスは新しい政体の価値には疑問を抱いていた。しかしかといって単に帝政か共和政かの一方を支持していたというような単純な立場ではなく、より複雑な立場にあったといえる。アウグストゥスはリウィウスを帝政への反対者とはみなしておらず、彼に自身の義理の孫にあたる[[クラウディウス]]の指導を委ねていた。リウィウスのクラウディウスへの影響は、のちに皇帝となって行った弁論にリウィウスのローマ史観が忠実に織り込まれていることからも明白である。
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リウィウスの業績は、142巻にもわたる膨大なものであったが、そのうち1巻から10巻までと21巻から45巻までの計35巻については現存している。1772年には、[[ヴァチカン図書館]]で上書きされた写本([[パリンプセスト]])の下からおよそ1000語を含んだ第91巻が発見されている。また1900年ごろからエジプトでは、分量ははるかに少ないものの未知の断片を含むパピルス片が発見されている。最近のものでは1980年代に第11巻の40語ほどの断片が発掘されている。
 
リウィウスの業績は[[古代]]の時点で概要に要約にされており、1巻に要約されたものが現存している。またこの概要をさらに単なるリストにまで要約した ''Periochae'' と呼ばれるものも現存している。エジプトの[[オクシリンコス・パピルス]]からも、37巻から40巻までと48巻から55巻までの要約が発見されている。こうした要約から欠落している箇所についてある程度復元することができる。
 
リウィウスは[[クィントゥス・ファビウス・ピクトル]]、[[クィントゥス・クラウディウス・クァドリガリウス]]、[[プブリウス・センプロニウス・アセッリオ]]、[[ウァレリウス・アンティアス]]といった年代史家を自身の典拠として使用している。対して[[アウレリウス・ウィクトル]]、[[カッシオドルス]]、[[エウトロピウス]]、[[フェストゥス]]、[[フロルス]]、[[グラニウス・リキニアヌス]]、[[パウルス・オロシウス]]などはリウィウスの業績を参考にしている。[[ユリウス・オブセクエンス]]の『驚異の書』もリウィウスの抜粋を利用して書かれている。
 
=== 受容 ===
『ローマ建国史』は発表直後から賞賛を博した。この作品は全巻が書き終わる前から10巻単位で出版された。歴史の記述に文学表現を織り交ぜた作品は古代から[[中世]]そして[[現代]]に至るまで高い評価を受け続けている。[[ダンテ・アリギエーリ]]は、リウィウスをその作品中で高く評価し、またフランスの[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]はリウィウスに関連した美術作品を依頼している。さらには初代ローマ皇帝が後継者の家庭教師に選んだという事実はリウィウスの偉大な作家であり賢人であるとの名声をさらに高めることになった。また、リウィウスの取り扱った主題がローマ史の論点を書こうとする際に使われたり、作品の全体や一部が教科書として使用されたりした。
 
ローマの成立と共和政初期を描いた最初の10巻と、[[第二次ポエニ戦争]]を主題とする第21巻から第30巻までの10巻は1000年を経た現在でも多くの人々に愛されている。最初の10巻についてはこれを素材に[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]は共和政治についての書『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』を書き上げている。