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[[画像:Battaglia Gergovia 52ac.svg|230px|thumb|right|ゲルゴウィア包囲戦]]
'''ゲルゴウィアの戦い'''(仏:
== 概要 ==
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ハエドゥイ族の調停が済んだ後、カエサルはローマ軍団を2分して、10個軍団の内の4個軍団をウェルキンゲトリクスに呼応して反ローマで決起した[[セノネス族]]と[[パリシー族]]に対応させるべく[[ティトゥス・ラビエヌス]]と共にルテティア(現:[[パリ]])方面へと派遣し、残りの6個軍団及びゲルマン騎兵をカエサル自らが率いて、アルウェルニ族の本拠・ゲルゴウィアへと進軍することとした。なお、ハエドゥイ族からの支援軍([[アウクシリア]])は後にゲルゴウィアへ向かうこととした。
ウェルキンゲトリクスはエラウェル川(現:[[アリエ川]])に架かっている全ての橋を破壊して、エラウェル川の向こう岸(ゲルゴウィア側)に沿って進軍した。カエサル軍はガリア軍からの攻撃こそ受けなかったものの、ウェルキンゲトリクスは[[偵察]]兵をエラウェル沿いに送り出して、カエサルが川を渡るのを見張っていた。その
=== ゲルゴウィア包囲 ===
エラウェル渡河地点から5日間ほど行軍してゲルゴウィアに到着したカエサルは、ゲルゴウィアが山頂に位置しているた
この包囲線を以てガリア軍の[[兵站]]を封じて、ウェルキンゲトリクスを兵糧攻めにする予定であったが、ウェルキンゲトリクスの内応策によってハエドゥイ族のコンウィクトリタウィスはガリア連合軍へ加担する意向を固めつつあり、またゲルゴウィアへ向かう予定のハエドゥイ族の軍兵10,000を率いるリタウィックス(Litavicus)はウェルキンゲトリクスへと合流する目論見であった。これを察知したカエサルは軍を率いてリタウィックスを捕らえようとしたが、リタウィックスはゲルゴウィアへと逃れた。ハエドゥイ族はコンウィクトリタウィスらの親ガリア派とウィリドマルス(Viridomarus)らの親ローマ派へ分かれた。
=== カエサル、ゲルゴウィア撤退 ===
リタウィックスによる反ローマの煽動はガリア全土に広まって、ガリアに居住するローマ人は殺害
戦略上不利な立地([[城壁]]の上で戦うガリア軍と城壁の下から攻め上るローマ軍)にも
この結果もあって、ガリアの内、[[レミ族]]・[[リンゴネス族]]
== 参考 ==▼
*カエサル著、國原吉之助訳 『ガリア戦記』 [[講談社学術文庫]]▼
*[[塩野七生]] 『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』 [[新潮社]] ▼
▲== 参考文献 ==
==関連項目==
{{commons|Category:Gergovie|ゲルゴウィア}}
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