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Kinori (会話 | 投稿記録)
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[[江戸時代]]から[[仙台城]]の[[城下町]]の町割の基点とされた。辻には[[制札]]が掲げられたため当時は「'''札の辻'''」が正式名称であった。
 
辻の建物は、[[仙台藩]]がその威光を街道を行く人々に見せるために、四つ角全てが城郭風の高楼を備えた同じ形状の建物となっていた。これらの建物は一階部分は普通の商家と同じつくりになっていて、地元の豪商に貸し出され、何度か火事に遭った際も、その度に仙台藩の費用によって再建された。だが江戸も末期になると藩の財政も疲弊し、こうした対応は採らなくなっていった。
辻の建物は江戸時代にも何度か焼失したが、そのたびに[[仙台藩]]の交通の要衝として[[瓦葺き]]の城楼式の建物が再建された。
一部の建物は明治期まで残っていたが、これもやがて火災で失われた。
 
重罪犯人の「[[鋸挽き]]」や「立晒し」の[[刑場]]としても利用された。