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'''チャブイ'''('''Čabui''', ? - [[1281年]])は、[[モンゴル帝国]]([[元 (王朝)|元]])の[[ハーン|大ハーン]](カアン)、世祖[[クビライ]]の皇后。漢字表記は察必、[[集史]]のペルシア語表記では چابوى خاتون Chābū'ī Khātūn または چابون خاتون Chābūn khātūn として表れる。諡は昭睿順聖皇后。
[[コンギラト]]部族の出身で、父のアルチ・ノヤンは[[チンギス・カ
チャブイは
[[1271年]]にクビライが樹立した元では、次男のチンキムが燕王、三男のマンガラが安西王、四男のノムガンが北平王に封ぜられ、それぞれが中国北部、中国西部、[[モンゴル高原]]を分担して統治した。中央政府ではチンキムが行政機関である[[中書省]]と軍政機関の[[枢密院]]を統括し、さらにバアトル夫妻の子でチャブイの甥にあたる[[アントン (ジャライル部)|アントン]]が中書省の長官となった。加えてクビライによって新設された財務部局の長官としてチャブイの用人であるアフマドが抜擢され、元の政権中枢部にチャブイの縁者によって占められるようになった。このような状況を指して、大元王朝とはチャブイを扇の要とするコンギラト政権であったと評価する歴史家もいる。
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