「白沢川 (宮城県)」の版間の差分

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== 歴史 ==
近世には右岸を[[宮城郡]][[上愛子村]]、左岸を[[名取郡]][[長袋村]]とする[[郡]]の境界で、白沢川左岸には今の[[国道457号]]にあたる山道がついていた。広瀬川上・中流域の両岸は大略宮城郡に属すが、河岸の地形が険しくて川沿いよりも山越えのほうが接近しやすいような所では、広瀬川に名取の境界が引かれた。[[熊ヶ根村]]の対岸にあたった白沢川の北西の山がそのような地形であったため、そこは広瀬川の岸まで名取郡となり、川の南東側では背後の山を両郡の境とした。その基準の変わり目をつなぐ線が、白沢川の細流れ置かれたのである。
 
江戸時代には、仙台からみて西道と呼ばれた今の[[国道48号]]に白沢川橋があった<ref>『陸奥国仙台領変地其外相改之候目録』、倉橋真紀「元禄期『仙台領国絵図』関係資料」91頁。</ref>。