「ケントゥリア」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m cleanup
12行目:
日本語では「百人隊」、「百夫隊」と訳される事が多い。王政・共和政中期までは単に兵士の集団単位であったが、[[ガイウス・マリウス]]によって[[ローマ軍団]]の枢要な戦略的単位に変貌を遂げる。80人で構成されるケントゥリアは、後代の理想的な構成の場合、部隊内は10の[[コントゥベルニウム]](8人からなるローマ軍の最小構成単位。8人は、一つのテント分の人数でもある)から成り立っていた。またケントゥリアは、2組で[[マニプルス]](中隊)を形成し、3組のマニプルスで[[コホルス]](歩兵隊)を形成した。
 
ひとつのケントゥリアには指揮官として先頭に立つ[[ケントゥリオ]](百人隊長)が1人、副官として最後尾に立つ[[オプティオ]](百人副長)が1人、そして78人の[[軍団兵]]によって成り立っていた。この78人の軍団兵は戦闘の際には136人からなる列を613作り横に束ね、密集して敵と対峙した。ただし実際の兵数が定員数は部隊によって異なだったのは稀で実際は60名から80名までの差異があった。
 
=== 政治的定義 ===