「ティベリウス・グラックス」の版間の差分

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ティベリウスは[[紀元前163年]]に生まれる。父は[[ティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨル]](大グラックス)、母は[[コルネリア・アフリカナ]]([[スキピオ・アフリカヌス]]の娘)。父グラックスがスキピオ・アフリカヌスの弾劾裁判でスキピオ・アフリカヌスを擁護した後、スキピオは自らの娘コルネリアをグラックスと婚約させた。コルネリアはまだ幼女で、スキピオが40代になった時の子供である。グラックス家は[[パトリキ]]の血統ではなかったが、裕福で政治家としても有望な家柄であった。
 
紀元前147年、ティベリウスは[[トリブヌス・ミリトゥム]]として初めて[[第三次ポエニ戦争]]で[[ヌミディア]]に出陣する。[[クァエストル]](財務官)としては義理の(姉の夫)[[スキピオ・アエミリアヌス]]がいた。しかし[[マシニッサ]]の軍勢に敗北、その際に際立った行動に出て敗軍が崩壊するのを防いだ。ローマに戻るとアエミリアヌスがティベリウスの勇気をほめたたえ彼が元老院入りするのを推薦した。
 
紀元前137年、ティベリウスはクァエストルに選出されて、その年の[[執政官]]であったガイウス・ホスティリウス・マンキヌス([[:en:Gaius Hostilius Mancinus|en]])に従い、[[ヌマンティア戦争]]に従軍した。マンキヌス指揮のローマ軍はヌマンティア軍の前に連戦連敗を喫したが、ティベリウスが主導してヌマンティアとの和睦締結に漕ぎ着けて、多くの将兵の人命を助けた。<ref>[[プルタルコス]]『英雄伝』「グラックス兄弟 5」</ref>