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[[File:Gaul, 1st century BC.gif|thumb|right|250px|紀元前1世紀ごろのガリア]]
'''ヘルウェティ族''' (Helvetii) (Helvetii)は、現在の[[スイス]]から南[[ドイツ]]にかけて居住していた[[ガリア人]]の[[部族]]。スイスの古名である[[ヘルヴェティア]] (Helvetia) (Helvetia)はこの部族に由来する。
 
[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の『[[ガリア戦記]]』によれば、[[紀元前1世紀]]、ヘルウェティ族は[[スエビ族]]の攻撃を受けていた。当時の族長であった[[オルゲトリクス]] (Orgetrix) は、部族を率いて西方へ逃れることを決定した。そのためには、当時ローマの属州であった[[ガリア・ナルボネンシス]](現在の[[プロヴァンス]]一帯)を通過しなくてはならなかった。オルゲトリクスは属州総督のカエサルに通過許可を求めたが、カエサルはこれを拒絶した。オルゲトリクスは強引に突破する決意をし、これが[[ガリア戦争]]の契機となった。
 
『ガリア戦記』によれば、この時のヘルウェティ族の全人口は390,000人で、うち110,000人が武器を持てる成年男子だった。対してカエサル率いるローマ軍は、6個軍団29,000人だった。カエサルは新たに2個軍団を動員した。
 
ヘルウェティ族が移動を始める前にオルゲトリクスは亡くなった。ヘルウェティ族は全ての村を燃やし、持てるだけの食料と財物を持って移動を開始した。そして[[アエドゥイ族]]の町ビブラクテの付近でローマ軍に攻撃された。ヘルウェティ族は敗れ、およそ6割が殺され、2割が捕虜となり、残りは四散しヘルヴェティアに戻らざるをえなかった。捕らえられたヘルウェティ族は奴隷として売却されるかカエサルの軍団に吸収された。
 
[[紀元前52年]]、[[アルウェルニ族]]の[[ウェルキンゲトリクス]]がローマに対して決起したとき、10,000人のヘルウェティ族が従った。
 
== 関連項目 ==