「オットー・マイヤーホフ」の版間の差分

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マイヤーホフは[[ユダヤ人]]の裕福な両親の息子として、[[ハノーバー]]に生まれた。子供時代は[[ベルリン]]で過ごし、医学の勉強を始めた。[[ストラスブール]]、[[ハイデルベルク]]でも学習を続け、1909年、[[精神疾患]]における[[心理学]]的理論の適応の研究を行って大学を卒業した。ハイデルベルクでは後に妻になるヘドウィグ・シャレンバーグと知り合った。夫妻は1人の娘と2人の息子に恵まれた。
 
1912年、彼はキール大学に移籍し、1918年に教授となった。1922年、彼は筋肉における[[乳酸]]生成と代謝の研究で[[アーチボルド・ヒル]]とともに[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。1929年から1938年まで、彼はマックス・プランク医学研究所に勤めた。1938年には[[ナチス]]から逃れるために[[パリ]]に渡り、1940年に[[アメリカ合衆国]]に移住して[[フィラデルフィア]]の[[ペンシルニア大学]]客員教授となった。
 
マイヤーホフは67歳の時、[[心臓発作]]によりフィラデルフィアで亡くなった。
 
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1901年-1925年)}}
 
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[[Category:ドイツの生物学者]]