「ヴァロワ=ブルゴーニュ家」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 公国の誕生 ===
ヴァロワ=ブルゴーニュ家は[[ヴァロワ朝]]のフランス王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]の末子[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]に始まる。[[カペー家]]系[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ家]]最後の男系当主[[フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ1世]]が[[1363年]]に嗣子無くして没したことにより、その公領はフランス王領に併合されるが、時のフランス王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]は、末子[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ]]にブルゴーニュを下賜した。これがヴァロワ=ブルゴーニュ家の誕生である。更に、フィリップの兄でジャン2世の長男であるフランス王[[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]]が、フィリップと[[フランドル伯|フランドル女伯]][[マルグリット3世 (フランドル女伯)|マルグリット3世]]と結婚させたことにより、[[フランドル]]、[[フランシュ・コンテ]]、[[アルトワ]]を獲得したフィリップは一躍富裕な諸侯となった。
 
これを梃にしたフィリップは[[ネーデルラント]]に進出し、当地を支配した[[ヴィッテルスバッハ家]]と巧みに縁組を重ねることで急速に勢力を拡大させる。[[1380年]]にシャルル5世の息子で新たにフランス王になった[[シャルル6世 (フランス王)|シャルル6世]]の妃にヴィッテルスバッハ家の[[イザボー・ド・バヴィエール|イザボー]]を迎えたのも、ネーデルラント政策の一環であった。そして、ブルゴーニュ家が統治した[[ブルゴーニュ公爵領ネーデルラント|ブルゴーニュ公領ネーデルラント]]が今日の[[ベネルクス]]の原型となるのである。