「香淳皇后」の版間の差分

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[[7月10日]]に「'''香淳皇后'''」と追号された。「香淳」は、上代に編まれた『[[懐風藻]]』の「花舒桃苑'''香'''、草秀蘭筵新」(安倍広庭「春日侍宴」)と、「四海既無為、九域正清'''淳'''」(山前王「侍宴」)に拠る。和書を典拠にする[[諡|諡号]]はこれが初めてである。
 
[[7月25日]]に行われた[[斂葬の儀]]が行われた後、[[武蔵陵墓地|武蔵野東陵]]に葬られた。葬儀に際し[[明仁|今上天皇]]は以下の御誄(追悼の辞)を述べられた。
 
:'''「明仁」謹んで御母香淳皇后の御霊に申し上げます。昭和天皇の崩御あそばされてより十一年、吹上大宮御所にお過ごしの日々が穏やかにして一日も長からんことを願い、お側近く過ごしてまいりましたが、この夏の始め、むなしく幽明界を異にするにいたりました。在りしの日のお姿を偲びつつ、親(木親)殿に、また[[殯宮]]におまつり申し上げること四十日、ここに斂葬の日を迎え、葬列をととのえ、昭和天皇のお側にお送り申し上げます。お慈しみの下にあった去りし日々を思い、寂寥は深く、追慕の念は止まるところを知りません。誠に悲しみの極みであります。
 
東京都[[八王子市]]の[[武蔵陵墓地|武蔵野東陵]]に葬られ、平成13年(2001年)に造営が完了した。
 
==皇子女==