「アメリカン・ドリーム」の版間の差分

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== 概要 ==
[[18世紀]]のアメリカ黎明期においては、ヨーロッパに比べ、出自や身分が決定的な役割を果たすことが少なかった。黄金郷の探索や豊富な地下資源のもたらす巨万の富など、志を抱き、情熱を燃やした多数の人間がヨーロッパから新大陸へと渡ってきた。「アメリカン・ドリーム」という言葉は、そんな彼らの荒唐無稽で不遜な夢を奨励し、鼓舞し続けた<ref>[http://www.mhlw.go.jp/ 厚生労働省][http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/03/txt/s0305-1.txt 労働政策審議会議事録] - アメリカの政策に関して</ref>。
 
[[アメリカ独立宣言|独立宣言書]]を起草した[[トーマス・ジェファーソン]]は、自ら構想した独立宣言において、[[ジョン・ロック]]が『[[統治二論]]』で不可侵の権利として挙げた「生命、自由、財産をめぐる権利」という言葉を、「生命、自由、幸福の追求の権利」に書き換えた。これは、国家レベルにおいて夢を見るという行為に価値が付与され、アメリカの起源として重要な意義を持つこととなった<ref name="a1" /><ref>[http://www.nira.or.jp/ NIRA][http://www.nira.or.jp/past/icj/libj/prw/pdf/n06_200708.pdf 世界の政策研究インデックス(PDF)]</ref>。
 
やがて迎える[[西部開拓時代]]に先立ち、アメリカ第6代大統領[[ジョン・クィンシー・アダムズ]]は、[[1802年]][[プリマス]]上陸二百年祭の演説において、バークレイ主教の詩の一説を引用し、「帝国の進路は西を目指しゆく」と叫んだ。大西洋岸に到着した彼らの夢は、帝国拡張の必然的経路として際限なく広がる未開の西の大地へ向けられた。[[ホレス・グリーリー]]の「若人よ、西部を目指せ」の言葉どおり、[[1862年]]に成立した[[自営農地法]]は、虐げられてきた者たちの、土地所有の夢を実現させるに至った。
 
しかし、肌の色やが違うという理由だけで、そのような夢を見る権利すら奪われ、疎外された[[黒人]]や、白人の夢を体現させるために、様々な権利や財産を奪い取られた[[ネイティブ・アメリカン|先住民]]たちの存在があったのもまた、事実である。19世紀から20世紀にかけて、彼らはそうした夢の欺瞞を暴きだし、抗議の声をあげるようになっていった<ref>『概説アメリカ文化史』p.7</ref>。
 
== 夢の体現者 ==