「マルタ・アルゲリッチ」の版間の差分

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[[1965年]]、[[ショパン国際ピアノコンクール]]で優勝し、最優秀[[マズルカ]]演奏者に贈られる[[ポーランド放送局賞]](マズルカ賞)も受賞した<ref>[[1965年]]の第7回[[ショパン国際ピアノコンクール]]出場時の映像の一部を観ることができるが、第1次予選での「[[英雄ポロネーズ]]」作品53の映像は、客席側から撮影されている[[フィルム]]以外は、全てコンクール後に撮影された時の物が使われている。正面(及び手のアップ)から撮影されたフィルムは音とアルゲリッチの動きと合致していない部分がほとんどであること、また、コンクール時アルゲリッチが使用したピアノは[[スタインウェイ]]社製であったにもかかわらず、[[ベヒシュタイン]]社のピアノを弾いているという事が挙げられる。[[スケルツォ第3番 (ショパン)|スケルツォ第3番]]の映像もコンクール後撮影された時のフィルムであり、第2次予選での実況録画・録音ではない。</ref>。
 
[[1969年]]、1957年に出会った指揮者の[[シャルル・デュトワ]]と結婚し(2度目)、娘をもうけるが、来日の際に夫婦喧嘩となり、アルゲリッチだけが帰国し離婚。後にピアニストの[[スティーヴン・コヴァセヴィチ]]と3度目の結婚。
 
ソロや[[ピアノ協奏曲]]の演奏を数多くこなすが、1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり[[室内楽]]に傾倒していく。ヴァイオリニストの[[ギドン・クレーメル|クレーメル]]、[[イヴリー・ギトリス]]、[[ルッジェーロ・リッチ]]、チェリストの[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ|ロストロポーヴィチ]]、[[ミシャ・マイスキー|マイスキー]]など世界第一級の弦楽奏者との演奏も歴史的価値を認められている。