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1984年に[[アイスホッケー]]でスケートリンクデビュー、翌1985年ショートトラックに転向。
 
1994年[[リレハンメルオリンピック|リレハンメル五輪]]に18歳で出場し、男子1000mで4位入賞を果たした。以後、1998年[[長野オリンピック|長野]]、2002年[[ソルトレイクシティオリンピック|ソルトレイクシティ]]、2006年[[トリノオリンピック|トリノ]]と、計4度の[[冬季オリンピック]]に出場。2009年、生涯のパートナーと一緒に[[バンクーバーオリンピック|バンクーバー]]を目指すため、4歳年下の会社員と結婚。10年以上にわたって、日本のショートトラック界を牽引している。
 
==ソルトレイクシティオリンピックでの誤審==
[[2002年]]のソルトレイクシティオリンピックの男子1000mで寺尾は予選、準々決勝を通過して準決勝へ進出した。準決勝レースは前回長野の同種目の金メダリストである[[大韓民国|韓国]]の[[金東聖]]と同じく長野の同種目の銀メダリスト[[中華人民共和国|中国]]の[[李佳軍]]が先頭争いを展開。しかし、ファイナルラップの最終コーナーで3番手だった[[カナダ]]の[[マシュー・ターコット]]が先頭2人を巻き込んで転倒。巻き込まれなかった寺尾はガッツポーズし、悠々とゴールした。寺尾の決勝進出は確実と思われたが、このレースの審議の結果、なんと全く接触に関係のなかった寺尾が、ターコットを後ろから押して転倒させ、李を巻き込んで転倒させた原因として、まさかの失格となった。接触直前の映像を見る限り、寺尾とターコットとの間には完全に空きスペースがあり、寺尾は前の選手に触れてもいなかった。しかし、当時のショートトラックの審判判定にはビデオ判定が導入されていなかったため、このような事態が起きてしまった。日本チームの抗議も却下され、結局判定は覆らず、李が繰り上がりでターコットが救済措置によって決勝へ進出となり、寺尾は審判の誤審によって不可解な失格となった。この誤審が起こったことにより、日本は[[国際スケート連盟]]にルール改正を求める文章を提出した。その後、次のトリノオリンピックではルールも改正し、ビデオ判定も導入されている。ちなみにこのレースで寺尾についで2着でゴールしたのはこの後の男子1000mの決勝で大波乱のレースを制した、[[オーストラリア]]の[[スティーブン・ブラッドバリー]]だった。
 
 
==主な競技成績==
===[[近代オリンピック|オリンピック]]===
*1994年[[リレハンメルオリンピック]]
**500m/13位
31行目:
**1000m/9位
*2002年[[ソルトレイクシティオリンピック]]
**500m/5位
**1000m
**1500m
*2006年[[トリノオリンピック]]
**500m/6位
**1000m
**1500m/9位
 
===[[世界ショートトラックスピードスケート選手権大会]]===
*1994年 
**5000mリレー/優勝
*1997年
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{{DEFAULTSORT:てらお さとる}}
 
[[Category:日本のショートトラックスピードスケート選手]]
[[Category:オリンピックスピードスケート日本代表選手]]
[[Category:トヨタ自動車の人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
 
[[de:Satoru Terao]]