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1966年に卒業し、一貫してフリー助監督として務め30歳のときに1973年に『流星人間ゾーン』で監督デビューを果たす。しかしその後監督として登板する機会がなく、東映に移り『[[刑事くん]]』、『[[Gメン]]』、『[[特捜最前線]]』などの一般ドラマや『[[スパイダーマン]]』、『[[科学戦隊ダイナマン]]』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める生活が長く続く。
 
1987年チーフ助監督を務めていた『大都会25時』で監督に再度昇進。その後、同年より始まった『仮面ライダーBLACK』で助監督&監督。このときに初めて監督ローテーションに定着したが、蓑輪はこのとき45歳であったためかなりの遅咲きといえる。翌年のRXではメイン監督を担当するが、これは旧知の[[堀長文]]プロデューサーの意向があったとされる。その後[[スーパー戦隊]]シリーズや[[メタルヒーローシリーズ]]などで監督として頭角を現すことになるが、1996年制作の『[[超光戦士シャンゼリオン]]』の第31話「羊とパイと現金」を最後に東映での監督作品はなくなった。これに関して、東映側がスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。
 
『シャンゼリオン』終了後東映が制作協力した『[[新幹線'97恋物語]]』の現場に参加しているが、これは助監督としての参加である。同番組終了後、蓑輪の消息は伝わってきていない。