蓑輪雅夫
来歴編集
フリーの助監督として務め、1973年に『流星人間ゾーン』で監督デビューを果たす[1]。しかしその後監督として登板する機会にはほぼ恵まれず、東映に移り『刑事くん』、『Gメン'75』、『特捜最前線』などの一般ドラマや『スパイダーマン』、『科学戦隊ダイナマン』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める生活が長く続く。
1987年チーフ助監督を務めていた『大都会25時』で監督を再度担当したのを皮切りに、同年より始まった『仮面ライダーBLACK』で助監督&監督。このときに初めて監督ローテーションに定着したが、蓑輪はこのとき45歳であったためかなりの遅咲きといえる。翌年のRXではメイン監督を担当するが、これは旧知の堀長文プロデューサーの意向があったとされる。その後スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどで監督として頭角を現すことになるが、1996年制作の『超光戦士シャンゼリオン』31話「羊とパイと現金と」を最後に監督作品はない。これに関して、東映側がスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。
『シャンゼリオン』終了後東映が制作協力した『新幹線'97恋物語』の現場に参加しているが、これは助監督としての参加である。
作品(監督)編集
テレビドラマ編集
- 流星人間ゾーン(1973年、東宝・日本テレビ)※助監督兼任&監督デビュー
- Gメン'75(1975年 - 1982年、東映・近藤照男プロダクション・TBS)※助監督兼任
- 大都会25時(1987年、東映・テレビ朝日)※助監督兼任
- 仮面ライダーBLACK(1987年 - 1988年、東映・毎日放送)※助監督兼任
- 仮面ライダーBLACK RX(1988年 - 1989年、東映・毎日放送)
- 高速戦隊ターボレンジャー(1989年 - 1990年、東映・テレビ朝日)
- 地球戦隊ファイブマン(1990年 - 1991年、東映・テレビ朝日)
- 特救指令ソルブレイン(1991年 - 1992年、東映・テレビ朝日)
- 鳥人戦隊ジェットマン(1991年 - 1992年、東映・テレビ朝日)
- 特捜エクシードラフト(1992年 - 1993年、東映・テレビ朝日)
- 特捜ロボジャンパーソン(1993年 - 1994年、東映・テレビ朝日)
- ブルースワット(1994年 - 1995年、東映・テレビ朝日)
- 超光戦士シャンゼリオン(1996年、東映・テレビ東京)