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|ダブルス優勝回数=
|シングルス最高=85位
|ダブルス最高=2416
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'''ディック・ノーマン'''('''Dick Norman''', [[1971年]][[3月1日]] - )は、[[ベルギー]]・ワレゲム出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[2009年]]の[[全仏オープン]]男子ダブルスで、[[ウェスリー・ムーディ]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])とペアを組んで準優勝した選手である。これまでに[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでダブルス3勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス85位、ダブルス2416位。左利き。身長203cmの長身からついた“Big D”(ビッグD)というニックネームがある。
 
6歳から[[テニス]]を始め、[[1991年]]にプロ入り。ノーマンが最初に脚光を浴びたのは、[[1995年]]の[[1995年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]4回戦進出だった。ノーマンは当時世界ランキング176位で、ウィンブルドン男子シングルスの予選3回戦で[[サンドン・ストール]]([[オーストラリア]])に敗れたが、大会開始直前に欠場者が出たことにより「ラッキー・ルーザー」(Lucky loser)として本戦出場権を得た。本戦1回戦で[[パット・キャッシュ]](オーストラリア)が途中棄権した後、2回戦でノーマンは第13シードの[[ステファン・エドベリ]]を 6-3, 6-4, 6-4 で破り、世界のテニスファンを驚かせた。そこから4回戦まで勝ち進み、第3シードの[[ボリス・ベッカー]]に 6-7, 3-6, 4-6 のストレートで敗れた。当時のベルギーにはテニスの強豪選手が少なかったこともあり、伏兵ノーマンの活躍は評判になった。ウィンブルドン後、[[1995年]]9月22日-24日に男子団体戦[[デビスカップ]]の「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、ノーマンは対[[ノルウェー]]戦でベルギー代表に初起用された。10月に[[セイコー・スーパー・テニス]]で来日し、翌週の[[中華人民共和国|中国]]・[[北京]]大会でダブルス決勝進出もあった。2年後の[[1997年全仏オープンテニス|1997年全仏オープン]]で[[セルジ・ブルゲラ]]と3回戦を戦った後、ノーマンはしばらくテニス界のスポットライトから消えた。
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* {{ATP|id=Top-Players/Dick-Norman|name=ディック・ノーマン}}
* {{Davis Cup|10002139|ディック・ノーマン}}
* [http://www.dicknorman.be/ 公式サイト] (オランダ語)
 
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[[Category:ベルギーのテニス選手]]
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[[Category:1971年生]]
[[Category:存命人物]]
 
[[ar:ديك نورمان (كرة مضرب)]]