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'''島田 守政'''(しまだ もりまさ、[[寛永]]元年([[1624年]])- [[元禄]]12年([[1699年]]))は[[江戸時代]]初期の[[旗本]]。江戸[[町奉行]](8代目北町奉行)を勤めた。名ははじめ「'''利木'''(としき)」。後に守政、忠政と改める。通称久太郎。法名幽山。従五位下出雲守。同じく江戸町奉行などを歴任した[[島田利正]]の四男。正室に[[喜連川頼氏]]の娘。
 
== 人物 ==
 
寛永17年([[1640年]])に御小性組番士として出仕し、父利正の[[武蔵国]][[入間郡]]の采地より1000石を分けられた後、明暦2年([[1656年]])には御徒頭、万治元年([[1658年]])には御目付にと順調に出世する。
 
[[寛文]]2年([[1662年]])~寛文6年([[1666年]])には[[長崎奉行]]。大火で消失した長崎の町を区割りや道路幅を改め、町全体を機能的な貿易都市へと再編するなど手腕を認められ、寛文7年([[1667年]])~[[延宝]]9年([[1681年]])に渡って江戸北町奉行に任ぜられた。[[伊達騒動]]での申次役など訴訟関連で多く名が見える。
 
== 永源寺釈 迦降誕祭 ==
 
祖父[[島田重次]]の建立した[[埼玉県]][[坂戸市]]の[[永源寺 (坂戸市)|永源寺]]では毎年5月に「釈尊降誕祭」と呼ばれる祭が執り行われる。これは長崎奉行であった守政が、赴任地長崎で伝来物の降誕釈尊仏を入手。菩提寺である永源寺に寄進したことから始まると伝わっている。
 
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