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成長すると、チンギス・ハンの側近として活躍する。[[ナイマン部]]に襲撃された[[ケレイト部]]のために援軍を率いて活躍し、その後ケレイト部と対立して決戦に至った際には重傷を負った[[オゴタイ]]を救い出し、更に彼の妻も[[タタール部]]にさらわれた[[トルイ]]を救い出した。
 
 
『集史』フウシン部族誌などによると、ボロクルはチンギス・カンに仕えた当初、チンギス・カンの侍衛集団である[[ケシク]]の一員として、ボケウル Bökeül とバウルチ Bauruči すなわち大膳職に任じられた。その後ケシクの長であるケシクトゥとなり、同時に万戸長にもなったという。さらにその後、右翼の指揮官となったが、『集史』チンギス・カン紀のチンギス・カン旗下の諸軍の編成リスト中、ボロクルは右翼軍の第二位に列せられており、これは右翼軍総司令官[[ボオルチュ]]に準ずる副司令として着任していたと考えられている。