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== 歴史 ==
アクスム王国は[[ゲーズ語]] ([[:en:Ge'ez language|Ge'ez]]) と呼ばれる独自の文字言語を持っており、古いものは紀元前5000年から前2000年まで遡る巨大な[[オベリスク]]に代表される独自の建築様式を発達させていた<ref> Herausgegeben von Uhlig, Siegbert, ''Encyclopaedia Aethiopica: D-Ha'' (Wiesbaden: Harrassowitz Verlag, 2005), p. 871. </ref>。この王国は[[エザナ]]王の時に最盛期を迎えた。公式にキリスト教に改宗したのもこの時期で、エザナ王もアブレハという[[洗礼名]]を持つ<ref>J. D. Fage, ''A History of Africa'' (London: Routledge, 2001)". pp. 53-54. ISBN 0-415-25248-2. </ref>。初期の伝道を行った人物として[[エチオピアのフルメンティ|エチオピアの大主教フルメンティ]]がいる
 
[[エチオピア正教会]]は、[[シオンのマリア教会]] ([[:en:Church of Our Lady Mary of Zion|Church of Our Lady Mary of Zion]])に[[モーセの十戒]]を刻んだ石版を納めた[[契約の箱|契約の聖櫃]]があると主張している。この教会では、数世紀に渡り[[ファシリデス]]帝の治世までの代々のエチオピア皇帝が礼拝し、中断の後、[[ヨハンネス4世]]から帝政の終焉まで再び歴代皇帝が礼拝していた。アクスムはエチオピア最高の聖地であり、重要な巡礼地なのである<ref>Hodd, Mike, ''Footprint East Africa Handbook'' (New York: Footprint Travel Guides, 2002), p. 859. ISBN 1-900949-65-2. </ref>。
 
1月19日には重要な祭事であるティムケット祭(T'imk'et Festival, [[正教会]]でいう[[神現祭]]、西洋世界でいう[[公現祭]])が行われ、11月下旬にはマリヤム・シオン祭が行われる。
 
1937年に1700年前のオベリスク(全長24m)をイタリア軍が三分割し、[[ローマ]]に持ち帰った。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の最良の例証の一つであることは衆目の一致するところであり、1947年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議した。しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005年に返還された。<!-- It is due to be re-erected in late 2006.[6] [1] UNESCO has assumed responsibility for the re-installation of this stele in Axum.-->
 
== 遺跡 ==