「定気法」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m #REDIRECT二十四節気
 
redirect解除
1行目:
'''定気法'''(ていきほう)は、[[二十四節気]]を推算する方法のひとつ。
#REDIRECT[[二十四節気]]
 
[[平気法]]のように1[[太陽年]]の日数を割って節気を求めるのではなく、[[太陽]]の[[天球]]上の通り道である[[黄道]]を[[春分点]]を起点として24等分し、こうして導き出された15°ごとの[[黄経]]上の特定の度を太陽が通過する日に[[節気]]と[[中気]]を交互に配していった。このため'''空間分割法'''とも呼ぶ。
 
この方法では節気から節気までの日数が不均等になる。[[冬至]]ごろには[[地球]]が[[公転]]軌道上の近日点に位置するため、太陽が黄経上の15°を移動する速度がやや早くなり、節気間の日数は14日あまりとなる。一方、[[夏至]]ごろには太陽の移動速度がやや遅くなり、節気間の日数は16日あまりとなる。日数が不均等となる不便さがあるものの、太陽の実際の位置を反映し、[[春分]]・[[秋]]分はかならず昼と夜の時間が同じとなる日となる。
 
[[太陰太陽暦]]では、中気を含まない月を閏月とするが、定気法を採用すると、冬には節気間の日数が短くなるため、中気の日付は月が変わってもほとんど変化していかない。このため冬に[[閏月]]が設けられる可能性は低い。一方で夏前後には節気間の日数が一気に増えるので、月ごとに中気がずれていき、閏月が生じる可能性が高くなる。ここ200年をみても閏11月、閏12月、閏正月は一度も存在しない。一方で閏5月が最も多く存在している。
 
定気法は中国では[[清]]の[[時憲暦]]、日本では[[江戸時代]]の[[天保暦]]からはじめて採用されたが、定気の考え方は古くから提唱されていた。[[隋]]の[[劉焯]]は[[皇極暦]]を作成するにあたり、二十四節気の決め方にも新しい提案をした。これは周天を24等分し、その分点を太陽が通過するごとに節気の日付を決めるようにするものであった。時憲暦や天保暦で採用された定気法は黄道を24等分したものである。現在でもこの方法で二十四節気が決められている。
 
[[Category:暦法|ていきほう]]