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'''褒章'''(ほうしょう、Medal)とは社会や公共、文化などに功績のあった者や団体を[[表彰]]するため[[日本|日本国]]政府が授与する[[記章]]のことである。[[勲章 (日本)|勲章]]・[[位階]]と並ぶ日本の[[栄典]]の一つ。その他、栄典ではないが褒章に準ずる[[顕彰]]・[[表彰]]として[[栄章]](表彰記章とも)がある。
 
日本以外の国では勲章をorder、その他の記章をmedalとしている。日本においても勲章はorderと英訳し、褒章その他の栄章(表彰記章、または記章とも)はすべてmedalと英訳する。
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なお褒章は個人を対象としたものであるため、法人・団体等にはそれに代えて'''褒状'''が授与される。また褒章を受章すべき者が死亡している場合には、受章者の遺族に対し[[賜杯|賞杯(銀杯・木杯)]]または褒状を授与する('''遺族追賞''')。
 
== 概説 ==
[[Image:Medal of Honour Japan.jpg|right|thumb|100px|褒章]]
褒章は[[1881年]]([[明治]]14年)[[12月7日]]公布、[[1882年]](明治15年)[[1月1日]]施行された[[褒章条例]](明治14年[[太政官布告]]第63号)により制定された。当初は紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章の3種であった。以後、[[1887年]](明治20年)に黄綬褒章(現行のものとは異なる<ref>黄綬褒章臨時制定ノ件(明治20年勅令第16号)により、「私財ヲ献納シ防海ノ事業ヲ賛成スルモノニ授与スル」と定められた。[[内閣官制の廃止等に関する政令]](昭和22年政令第4号)1条により、[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]]をもって廃止。</ref>。戦後廃止)、[[1918年]]([[大正]]7年)に紺綬褒章が制定された。さらに[[1955年]]([[昭和]]30年)[[1月23日]]、黄綬褒章と紫綬褒章が制定され現在に至っている。[[2003年]]([[平成]]15年)[[11月3日]]に行われた栄典制度改革では褒章の受章要件を緩和し、受賞対象を広げた。
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紅綬褒章・緑綬褒章・黄綬褒章・紫綬褒章・藍綬褒章については勲章と同様、毎年[[4月29日]]([[昭和の日]])及び11月3日([[文化の日]])に発令される。各回、約800名に授与されそれぞれ「春の褒章」「秋の褒章」と呼ばれている。紺綬褒章は表彰されるべき事績の生じた都度、各府省等の推薦に基づき審査をし授与を行うこととされ毎月末の[[閣議]]で決定される。
 
日本の法令・行政上の扱いでは、褒章とは「○綬褒章」の名称をもつ褒章のみを指す。褒状、賞杯を含めるときは「褒賞」の表現を用いる(例: 受章・受賞者を掲載する[[官報]]の欄名)。
 
== 褒章の種類 ==
=== 紅綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Rood.jpg|thumb|right|100px|紅綬]]
こうじゅほうしょう。「自己の危難を顧みず人命を救助したる者」に授与される。
 
1882年(明治15年)、[[青森県]]の海岸で暴風波浪により[[難破]]した漁船乗組員を救助した工藤仁次郎が受章第1号である。戦後は年々受章者が減少していた(自分を危険に曝してまで行動する必要性や義務は市民にはない。二重[[二重遭難|二次遭難]]の恐れもあるし、それは[[警察]]や[[特別救助隊]]の任務である)。
 
2003年(平成15年)の栄典制度改正に伴い受章機会の拡大が図られ、[[2004年]](平成16年)春の褒章では16年ぶりに紅綬褒章が3名に授与された。[[2005年]](平成17年)春の褒章では落水車からの人命救助の功で、15歳の少年に贈られた(歴代受章者中最年少)。また同年秋の褒章では、[[JR福知山線脱線事故]]で救助活動に当たった地元企業や[[二次災害]]を防いだ主婦に贈られた。
 
=== 緑綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Groen.jpg|thumb|right|100px|緑綬]]
りょくじゅほうしょう。「自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著なる者」に授与される。
 
当初は「孝子・順孫・節婦・義僕の徳行卓絶なる者又は実業に精励し衆民の模範たるべき者」に授与することとされていた。1882年(明治15年)、青森県で数十年にわたり母へ孝養を尽くした外崎専四郎が受章第1号である。1950年(昭和2525年)[[12月25日]]の受章を最後に一旦途絶えた。これは1955年(昭和30年)の栄典制度改正で「実業に精励」の部分が黄綬褒章として独立し対象が狭まったこと、さらに戦後の価値観・環境の変化により顕彰するほどの孝行事例等が減少したこと(たとえば“節婦”といっても亡夫に貞節を誓い[[後家]]を貫くなどの行為を表彰するのは戦後の価値観になじまない。“義僕”とあるが、住み込みの[[使用人]]を雇うほど裕福な一家は現在はまずいない)などによる。
 
2003年(平成15年)の栄典制度改正に伴い受章機会・選考基準の見直しが図られ、社会福祉分野やボランティア活動などで顕著な実績のある個人等に授与することとなった。これにより、翌2004年春の褒章では半世紀ぶりに緑綬褒章が26名に授与された。
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[[2008年]](平成20年)には長年の[[受刑者]]更生支援等奉仕者として[[芸能人]]としては初めて[[杉良太郎]]が緑綬褒章を受章した。
 
=== 黄綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Geel.jpg|thumb|right|100px|黄綬]]
おうじゅほうしょう。「業務に精励し衆民の模範たるべき者」に授与される。
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[[1887年]](明治20年)、黄綬褒章臨時制定ノ件(明治20年勅令第16号)により、「私財ヲ献納シ防海ノ事業ヲ賛成スルモノニ授与スル」([[沿岸]][[防衛]]事業への私財提供者)と定められた。このときの受章第1号は、[[中井新右衛門]]。その後数年間は授章されたものの、長らく途絶えた。この勅令は、1947年(昭和22年)の[[内閣官制の廃止等に関する政令]](昭和22年政令第4号)により一旦廃止された。
 
1955年(昭和30年)の栄典制度改正により、授与する理由をあらためて再度制定。同年、多年にわたり水稲農作技術の向上に努力した[[北海道]]の天崎正太郎が新たな受章第1号である。改正されてからは、毎年500人 - 600~600人が受章している。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「第一線で業務に精励している者で、他の模範となるような技術や事績を有する者を対象とし、受章者数の増加を図る」こととされた。
 
=== 紫綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Paars.jpg|thumb|right|100px|紫綬]]
しじゅほうしょう。「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者」に授与される。
{{Main|紫綬褒章}}
 
=== 藍綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Blauw.jpg|thumb|right|100px|藍綬]]
らんじゅほうしょう。「公衆の利益を興し成績著明なる者又は公同の事務に勤勉し労効顕著なる者」に授与される。
 
1882年(明治20年)、[[潅漑]]用水を開通させて荒野を農地に変え村民生活の向上に貢献した[[大阪府]]の石田長蔵・久保田伊平が受章第1号である。戦後は毎年600人 - 1000~1000人が受章している。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「公衆の利益を興した者に対する藍綬褒章の選考に当たっては、他の模範となるような優れた業績が認められる者を対象とする。また従来公同の事務とされている分野について運用の見直しを行い、勲章の対象との関係を整理する」こととされた。授与対象が紫綬章と一部被っているが、こちらは[[技術者]]が主な対象。
 
=== 紺綬褒章 ===
[[Image:Eremedaille Japan Donkerblauw.jpg|thumb|right|100px|紺綬]]
こんじゅほうしょう。「公益の為私財を[[寄付]]し功績顕著なる者」に授与される。
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[[1919年]](大正8年)、[[済生会|恩賜財団済生会]]へ5万円(現在の価値で1000万円相当。換算基準は「[[罰金等臨時措置法]]」の規定によった)を寄付した小野光景が受章第1号である。紺綬褒章は他の褒章のように受章機会が春秋のみに限られず、事由の発生に合わせて毎月末にまとめられ閣議で決定され発令される。現在は公的機関や[[公益法人]]などへの500万円以上寄付個人、1000万円以上の寄付団体が主な対象となる(受けた団体から所管官庁宛てに上申がされる)。寄付が多額に上る場合には、併せて[[賞杯]](桐紋付きの盃)が授与される。
 
=== 褒状 ===
褒章を授与される理由の事績を残した者が団体である場合には自然人ではない団体がメダルを着ける事は出来ないので、受章者名を法人・団体とした賞状「褒状」が授与される。褒状には各褒章と同様に授与の理由が記されているが、頭書には「緑綬」「紫綬」等の区分は冠されずすべて単に「褒状」となる。
 
=== 遺族追賞 ===
褒章(紺綬褒章を除く)の授章対象者が死亡した場合は、[[遺族]]へ銀杯か木杯か褒状が授与される。これを遺族追賞という。叙勲対象者でもあるときは、遺族追賞ではなく死亡叙勲が行われることとなる。
 
== 根拠法令 ==
* [[日本国憲法]]第7条7号(栄典の授与が[[天皇]]の[[国事行為]]と定められている)
* 褒章条例(明治14年[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]第63号)
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なお、褒章について定めた[[法律]]は存在しない。[[1952年]](昭和27年)、褒章を含め[[栄典]]に関する事項は法律で定めるべきとの解釈の下、栄典法案が国会に提出されたことがあったが成立しなかった。そのため政府は褒章条例を[[政令]]により改正することで戦後の褒章制度の整備をするに至ったが、このような措置に対しては日本国憲法下では褒章は法律対象事項であり法律による委任もなしに政令で規定することは失当ではないかとする見解が[[憲法学]]者の間では有力である。
 
== 関係官庁 ==
栄典を所管するのは[[内閣府]]であり、事務執行機関として[[賞勲局]]が置かれている。元は[[1876年]](明治9年)、[[太政官]]に新設された賞勲局が始まりであり初代長官には[[伊藤博文]]が就任、代々[[三条実美]]や[[西園寺公望]]らがトップに就く要職であった。戦後は[[総理府]]の一部局となった。
 
褒章の選考手続きについては各都道府県・各関係団体から具申を受けた各省庁大臣が賞勲局へ褒章候補者を推薦し、慎重な審査の上、閣議に請議されて決定されている。
 
== 褒章制度の沿革 ==
* [[1875年]]([[明治]]8年)7月 - [[太政官布告・太政官達|太政官達]]第121号において、篤行者・奇特者へ賞与を与えることが定められる。
* [[1880年]](明治13年) - 賞勲局から褒章制度制定について上申される。
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* [[2003年]]([[平成]]15年)[[11月3日]] - 栄典制度の抜本改正に伴い褒章制度も改革された。
 
== その他の褒賞 ==
その他、[[都道府県]]では[[知事]]による[[表彰]]として褒賞を授与する制度があるが、一般にこれを'''知事褒章'''と通称することがある。特に[[東京都]]では、[[東京都知事]]表彰として、功労ある[[消防団員]]に対する'''消防褒賞'''があり記念章が授与されることから、しばしば公私を問わずこれらを知事褒章、消防褒章と通称されることが多い。
但し、それら都道府県の「褒章」は正確には「褒章」ではなく「褒賞」であり、その位置付けは国の栄典ではなく東京都の表彰である。授与される[[記章]]も[[記念章]]であり、国の褒章とは異なる。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[栄典]]
* [[表彰]]
* [[勲章]]
* [[勲章 (日本)]]
* [[記章]]
* [[栄章]]
111 ⟶ 110行目:
* [http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/hosho.htm 褒章]([[中野文庫]])
 
{{日本の勲章}}
{{Japan-culture-stub}}
{{DEFAULTSORT:ほうしよう}}