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'''ドゥア'''('''DuaDu'a''', ? - [[1307年]]頃)は、[[モンゴル帝国]]の皇族、[[チャガタイ]]家の第10代当主(在位:[[1283年]] - 1307年)で、[[チャガタイ・ハン国]]の実質的な建国者である。『[[集史]]』などの]]ペルシア]]語表記では دوا Dūā、『[[元史]]』などでの漢字表記は諸王'''都'''。第7代当主[[バラク (チャガタイ家)|バラク]]の子。
 
[[1270年]]に父のバラクが[[オゴデイ・ハン国|オゴデイ家]]の[[カイドゥ]]と対立中に、カイドゥによる毒殺と言われる謎の急死を遂げると、父の仇敵であるカイドゥと対立し、カイドゥの側についた第5代当主[[アルグ]]の遺児[[チュベイ]]らと激しい抗争を10年近くに渡って繰り広げた。