「東行庵」の版間の差分

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東行庵の地は清水山といい、[[幕末]]の頃[[奇兵隊]]軍監[[山縣有朋]](当時は狂介)は麓に草庵を建て「無鄰菴」と名付けていた。ちなみに後に山縣が[[京都]]に建てた別宅を[[無鄰菴]]というのは、この下関の無鄰菴にちなんで名付けられたものである。
 
[[慶応]]3年([[1867年]])4月に死去した[[高杉晋作]]の遺骸は、遺言により、遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られた。晋作に仕えていた愛人おうの(谷梅処)が出家し、山縣は{{jdate|1869}}に無鄰菴をおうのに贈った。「東行」は晋作の号であり、おうのは{{jdate|1909}}に亡くなるまで晋作をこの地で弔ったという。
 
東行(晋作)の没後100年を前に{{jdate|1966}}に大修理が行われ、東行を顕彰する[[東行記念館]]が境内にてられている。
 
== 隣の札所 ==