「大蓮寺 (金沢市)」の版間の差分

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{{日本の寺院
|名称 = 大
|画像 = [[ファイル:大蓮寺.JPG|240px]]
|所在地 = 石川県金沢市野町二丁目1番14号
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|創建年 =[[慶長]]9年([[1604年]])
|開基 =衍連社広誉怒白上人
|正式名 =宝池山功徳院大
}}
[[ファイル:大蓮寺18.JPG|240px|thumb| 寺墓所 供養塔]]
[[ファイル:大蓮寺16.JPG|240px|thumb| 寺西正門 豪姫レリーフ]]
 
'''大寺'''(だいれんじ)は、[[石川県]][[金沢市]]野町にある、[[浄土宗]]の寺院。
== 概要 ==
山号は宝池山[[前田利家]]四女[[宇喜多秀家]][[正室]]である[[豪姫]]の位牌所・[[菩提寺]]として知られる。野田山にある豪姫の五輪塔の墓を今も守り、豪姫の位牌と念持仏である聖観音を寺宝として安置する。境内には豪姫と夫・宇喜多秀家の供養塔をはじめ茶商・堂後屋、儒者・藤田維正などの墓がある。
 
== 起源と歴史==
[[慶長]]9年([[1604年]])、[[加賀藩]]祖[[前田利家]]に仕えた荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正(七千石)が利家に従って[[金沢城]]入城後に、七尾の浄土宗[[西光寺]]住職であった衍連社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現:木ノ新保)に建立されたが、後に当地が御用地になったため、野町に[[替地]]を拝領して現在に至る。
 
山号の宝池山は、当山寺の前面道路から見て寺地が下がっていることから、それを池にたとえ、[[阿弥陀如来|阿弥陀仏]]の教えを宝の如く満たす池と表したと伝わる。
 
当山大蓮寺の最初の外護者、小塚秀正は前田利家・[[前田利長]]に使え、[[大坂の役|大坂夏の陣]]には、金沢城代を勤めた人物であったが、後に本家支家共に絶家。同時期から当山大蓮寺を外護していた人持組石野和泉守氏満・石野讃岐守氏次は代々加賀藩に仕え、有力[[檀越]]として当山大蓮寺に帰依し、現在も続く。
 
[[寛永]]11年([[1634年]])豪姫は[[金沢城]]鶴の丸でその数奇な運命生涯を閉じた。葬儀は家臣であった[[中村次郎兵衛|中村刑部]]、一色主善輝昌ら多くの有縁の人々によって大寺で厳修さ行われた。
 
現在の本堂は[[文化 (元号)|文化]]12年([[1815年]])如来寺の第十八世であった、走連社入誉上人が、当山大蓮寺の第十五世として迎えられ再建された。入誉上人は加賀藩前田家からも一目おかれた名僧であり、再建にあたり[[豪姫]]菩提の縁で前田家より松50本を寄進された。
 
1994年(平成6年)6月吉日、西正門前に豪姫のレリーフを開眼し、翌年5月21日豪姫の三百六十回忌法要を奉修、実施。この時に[[八丈島]]の秀家と加賀国の豪姫が生き別れとなってから四百400年余りを経て2人の分骨を頂き、両人の記念碑を当山大蓮寺墓所に建立し祀っている。
 
== 関連項目 ==