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'''阿部 征司'''('''あべ せいじ'''、[[1937年]][[8月1日]] - )は、日本の[[テレビドラマ]]の元[[テレビプロデューサー|プロデューサー]]。元[[東映]]所属。[[秋田県]]出身。[[早稲田大学]]教育学部社会科学科卒業。
 
作詞家としてのペンネームは「中瀬当一」。脚本家としてのペンネームとしては、[[平山亨]]プロデューサーとの共同筆名「海堂肇」がある。
 
== 来歴 ==
実家が映画館だったこともあり、幼い頃から映画業界を志す。大学在学中にはシナリオ研究会に所属。同期には、[[フジテレビジョン]]の[[日枝久]]代表取締役会長がいる。
 
大学卒業後の[[1960年]]に[[東映]]入社。入社後は[[東映東京撮影所]]に配属され、[[1969年]]に[[渡邊亮徳]](当時の東映本社テレビ事業部長)の直属配下として『[[プレイガール (テレビドラマ)|プレイガール]]』で初めてプロデューサーに就任。以後、[[平山亨]]プロデューサーの片腕として予算の配分から配役起用など、番組を裏で支え、『[[仮面ライダーシリーズ]]』([[毎日放送]])、『[[暴れん坊将軍]]シリーズ』([[テレビ朝日]])など、数々の作品にプロデューサーとして携わった。[[1997年]]に定年を迎え、現在は契約企画マンとして活動している。
 
サブプロデューサー時代のエピソードとして、「脚本家の[[伊上勝]]に脚本の提出が遅いので催促しに行ったがあの手この手でいつも上手く逃げられていたという。」、また逆に[[曽田博久]]の脚本は常に締切りまでには提出されてきたインタビューにて語ってい
 
『仮面ライダー』放映当時に社会現象となった大ヒット商品、『[[仮面ライダースナック]]』([[カルビー]])の「おまけ」の「仮面ライダーカード」では、第三弾のシリーズからは阿部が匿名で説明文を執筆していた。商品化営業部から「誰に任せるよりも阿部ちゃんが一番仮面ライダーに詳しいんだから、あなたが書いてよ」と請われてのことだったという。
==主な作品==
 
==主なTV作品==
*[[プレイガール (テレビドラマ)|プレイガール]](1969年~1971年)
*[[男一番!タメゴロー]](1970年)
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*[[レッドビッキーズ|がんばれ!レッドビッキーズ]](1978年)
*[[燃えろアタック]](1979年~1980年)
*[[仮面ライダー (スカイライダー)|仮面ライダー (スカイライダー)(新)]](1979年~1980年)※第18話から参加
*[[レッドビッキーズ|それゆけ!レッドビッキーズ]](1980年~1982年)
*[[仮面ライダースーパー1]](1980年~1981年)
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*[[暴れん坊将軍]]III~IX(1988年~1997年)
*[[将軍家光忍び旅]]I~II(1990年~1993年)
 
==映画==
*[[ガンマー第3号 宇宙大作戦]]
*[[仮面ライダー対ショッカー]]
*[[仮面ライダー対じごく大使]]
*[[仮面ライダーV3対デストロン怪人]]
*[[五人ライダー対キングダーク]]
 
ほか多数
 
==関連項目==
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*[[菊池俊輔]]
*[[京建輔]]
 
==参考文献==
*『仮面ライダー本郷猛』(扶桑社)
 
{{仮面ライダーシリーズ}}