「清元一壽郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
妙寿 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''二世 清元 一壽郎'''(にせい きよもと いちじゅろう、本名:新野幸三、[[1926年]](昭和2年)[[3月7日]] - [[1994年]](平成6年)[[9月7日]])は本名は新野幸昭和から平成にかけて活動した[[清元節]][[味線]]方。歌舞伎の立三味線を長年務めた
 
昭和から平成にかけて活動した[[清元節]][[三味線]]方。歌舞伎の立三味線を長年務めた。
 
== 経歴 ==
8 ⟶ 6行目:
*[[1941年]](昭和16年)、[[清元延寿太夫#5代目|五世延寿太夫]]に入門。初代'''清元國太郎'''を名乗る。
*[[1941年]](昭和16年)、3月[[新橋演舞場]]『三社祭』で初舞台。
*[[1947年]](昭和22年)、[[清元榮寿郎|清元栄次郎]](後の[[清元榮寿郎]])に師事。
*[[1949年]](昭和24年)、二代'''清元一壽郎'''を襲名。
*[[1964年]](昭和39年)、[[歌舞伎座]]で初めて[[歌舞伎]]の立[[三味線]]を勤める。
14 ⟶ 12行目:
*[[1994年]](平成6年)、9月7日逝去。享年68歳。
 
六世延寿太夫の立三味線も勤めた。また現[[家元]]の[[清元延寿太夫#6代目 (七世)|世延寿太夫]]を指導するなど、同い年[[清元榮三郎]]と並び清元節三味線も勤め方の代表格として活躍した。
また現[[家元]]の[[清元延寿太夫 (七世)|七世延寿太夫]]を指導するなど、同い年の[[清元榮三郎]]と並び清元節三味線方の代表格として活躍した。
 
師である[[清元榮寿郎]]譲りの天才的で歯切れのよい撥捌きと冴えた音色に定評があり、実兄[[清元寿國太夫]]とのコンビでも活躍した。晩年は体調を崩し、万全とは言えない体調で舞台を務める事も多く、稀有な才能を惜しまれつつ70歳を迎えずして亡くなった。
晩年は体調を崩し、万全とは言えない体調で舞台を務める事も多く、稀有な才能を惜しまれつつ70歳を迎えずして亡くなった。
 
== 家族 ==
清元を生業とする家に生まれた。
 
初代清元一寿郎、初代[[清元寿國太夫]]、四代目清元菊輔。姉清元延志女寿。義父初代清元栄之輔。
 
== 受章 ==
*[[1990年]](平成2年)、[[社団法人]][[日本芸能実演家団体協議会]]より芸能功労者賞を受賞。