「りんご並木 (飯田市)」の版間の差分

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'''りんご並木'''(-なみき)とは、[[長野県]][[飯田市]]内の中央にある大通りに400mにわたって植えられた[[りんご]]からなる並木通りである。かつての大火復興のシンボルとして広まり、現在は街のシンボルとして親しまれている。なお、[[日本の道百選]]や[[かおり風景100選]]に選定されている。
 
== 概要 ==
*並木通りは全体で1km程度あり、そのうちりんご並木に当たるのは450mほどの部分。飯田市公民館横のハミングパル(人形時計塔)を境にして北側から[[大宮神社]]前は[[桜]]並木となっており、こちらは桜の名所となっている。りんご並木は[[1947年]]に発生した「[[飯田の大火]]」の復興過程で当時の[[飯田市立飯田東中学校]]の生徒達の提案により生まれ、今日まで代々東中の生徒の手で育てられている。[[1999年]]には並木全体が大きな公園として整備され、春には白い花・秋には赤い実をつけ、道行く人を和ませている。
 また並木通りは、大火の教訓から町の[[防火帯]]としても機能するように考慮されている。市街地の8割を焼き尽した飯田の大火後に飯田市中心街は二本の30m幅員の防火帯道路が街の中心で交差し、町が4分割になるように整備された。万が一の大火災時に四分の一の町の焼失でくい止め、それ以上の延焼を防ぐ為である。元来りんご並木は並木通りとして作られたのではなく、この防火帯道路の中央にある緑地帯にりんごの木が植えられた。
 
 また並木通りは、大火の教訓から町の[[防火帯]]としても機能するように考慮されている。市街地の8割を焼き尽した飯田の大火後に飯田市中心街は二本の30m幅員の防火帯道路が街の中心で交差し、町が4分割になるように整備された。万が一の大火災時に四分の一の町の焼失でくい止め、それ以上の延焼を防ぐ為である。元来りんご並木は並木通りとして作られたのではなく、この防火帯道路の中央にある緑地帯にりんごの木が植えられた。
 
==沿革==