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[[ファイル:Buzjani, the Persian.jpg|thumb|260px200px|right|アブル・ワファ・ブーズジャーニ]]
 
'''アブル・ワファ'''・ブーズジャーニー''Abul Wafa'' [[ペルシア語]]''Abū al-Wafā Būzjānī ابوالوفا بوزجانیبوزجانى''、 全名([[アラビア語]]) ابوالوفا محمد بن محمد بن یحییيحيى بن اسماعیلاسماعيل بن العباس البوزجانیالبوزجاني Abū al-Wafāʾ Muḥammad ibn Muḥammad ibn Yaḥyā ibn Ismāʿīl ibn al-ʿAbbās al-Būzjānī 、[[940年]] – 997年または998年没)は、[[ブワイフ朝]]時代の[[イラク]]で活躍した[[ペルシア]]の[[数学者]]、[[天文学者]]である。日本語では'''アブル・ウワファ・ブーズジャーニ'''と表記されている場合もある。
 
== 人物 ==
[[イラン]]の東部、[[ホラーサーン]]地方の[[ニーシャープール]]([[:en:Nishapur|Nishapur]])近傍にあるブーズガーン([[:en:Buzhgan|Buzhgan]])で生まれた。[[959年]]に、イラクおよびイラン西部を領有していたブワイフ朝の君主アドゥドゥッダウラ([[:en:'Adud al-Daula|'Adud al-Daula]] 在位[[949年]] - [[983年]])の支配下にあった[[バグダド]]に移り、シャラフッダウラ(在位 987年 - 989年)のもとでバグダードの天文台で活躍したと伝えられている。ギリシア科学文献の翻訳・注釈を行っていることで有名であり、[[エウクレイデス]]や[[アレクサンドリアのディオファントス]] 、さらに[[フワーリズミー]]などの注釈を行っており、特に[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の『[[アルマゲスト]]』(Kitāb al-Majistī)の翻訳者として後世に名を残した。また[[三角法]]の分野を研究し、多くの著書を書いた。しかしながら、現在それらは失われている。
 
人名の読み方としては[[正則アラビア語]]に基づいて、'''アブル・ワファー'''ないし'''アブー・アル=ワファー'''などとするのがより正確である。出身地名([[人名#イスラム圏の名前|ニスバ]])の「ブーズジャーン」 Būzjān とはブーズガーン Būzgān のアラビア語形である。
 
星の偏角(declination)の精密な測定のために[[象限儀]]を考案し、多くの[[三角関数]]の表を求める方法や、タンジェントの概念を導入した。ワファの明らかにした三角関数の公式には以下のようなものがある。
:<math>\sin(a + b) = \sin(a) \cos(b) + \cos(a) \sin(b)</math>
:<math>\cos(2 a) = 1 - 2\sin^2(a)</math>
:<math>\sin(2 a) = 2\sin(a) \cos(a)</math>
 
月の[[アブル・ウワファ (クレーター)|アブル・ウワファクレータ]]は、アブル・ワファー(ウワファに因んで命名された。
 
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