「メルビン・バンチ」の版間の差分

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m 背番号など
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|打席 = 右
|守備位置 = [[投手]]
|プロ入り年度 = [[1992年のMLBドラフト|1992年]]
|ドラフト順位 = MLBドラフト15巡目
|初出場 = MLB / 1995年5月6日<br />NPB / 2000年4月1日
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* [[中日ドラゴンズ]] (2000 - 2002)
}}
'''メルビン・バンチ'''('''Melvin Lynn Bunch Jr.''' , [[1971年]][[11月4日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。{{by|2000年}}から{{by|2002年}}まで[[中日ドラゴンズ]]に所属した。
 
== 来歴・人物 ==
{{by|1992年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]15巡目で[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に入団。{{by|1995年}}に[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビューし、初勝利を挙げた。その後再び[[マイナーリーグ|マイナー]]でプレーし、{{by|1999年}}に[[シアトル・マリナーズ]]でメジャーに再昇格。
 
{{by|2000年}}に[[中日ドラゴンズ]]に入団。同年4月7日の対[[横浜ベイスターズ|横浜]]戦で[[ノーヒットノーラン]]を達成。長身から投げ下ろす150km/h前後の速球と、速球と同じ球速で落ちる[[スプリットィンガド・ファストボール|SFF]]などの多彩な変化球を武器に、同年に14勝で[[最多勝利|最多勝]]のタイトルを獲得した。陽気な性格で[[名古屋弁]]を話し、チームメイトからも親しまれた。また打撃も良く、公式戦で[[福岡ドーム]]で初めてホームランを打った投手でもある。
 
{{by|2002年}}のシーズン途中、先発予定日に[[ナゴヤドーム]]に向かう途中で体調不良を訴え登板を回避。心臓疾患のため、そのまま帰国、退団となった。
 
一時{{by|2003年}}、[[星野仙一]]監督として率いる[[阪神タイガース]]に復帰するのではないかと噂さ報じられたが、実現しなかった<ref>[http://osaka-nikkan.com/lib/otr03/p-otr-030520-01.html 星野阪神Vの使者 新外国人に前中日バンチ急浮上]</ref>。
 
[[トランスワールドスポーツ]]の野球特集において、外国人選手が日本人とトラブルを起こさず日本で活躍するには「自我を抑え和をもってチームメイトと接すれば活躍できる。バンチはそれができていたため活躍できた」と報じられた。またバンチ自身も日本の文化である「協調性」は欧米では有り得ないとした上で、「日本で活躍するには協調性が必要」と話している。
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=== 背番号 ===
* '''50''' (1995年)
* '''31''' (1999年)
* '''42''' (2000年 - 2002年)
 
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* [[最多勝利|最多勝]]:1回 (2000年)
; NPB個人記録
* 初登板・初先発・初勝利:2000年4月1日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]2回戦([[ナゴヤドーム]])
* [[ノーヒットノーラン]]:1回 2000年4月7日、対[[横浜ベイスターズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])
 
== 脚注 ==
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[[Category:シアトル・マリナーズの選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:テキサス州の人物]]
[[Category:最多勝利 (NPB)]]
[[Category:テキサス州の人物]]
[[Category:1971年生]]
[[Category:存命人物]]