「サンバーナーディーノ列車脱線事故」の版間の差分

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|image=|thumb|Video cover to the Duffy Street accident on 5/12/1989
|title = サンバーナーディーノ列車脱線事故
|date = [[1989年]][[5月12日]]
|time = 午前7時36分
|location = [[サンバーナーディーノ (カリフォルニア州)]]
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|line = [[:en:Cajon Pass]]
|operator = [[サザン・パシフィック鉄道]]
|type = 第1事故:列車暴走・脱線<br/>第2事故:石油パイプライン爆発
|cause = 第1事故:貨物積載量の計算ミスおよび機関車の機械式ブレーキ故障<br/>第2事故:第1事故の復旧作業中にパイプラインへ生じた原因不明の損傷
|trains = 1 (SP1(SP 7551 East 列車)
|pax = 0名
|deaths = 6名 (列車乗員2名、近隣住民4名)
|injuries = 7名 (列車乗員3名、近隣住民4名)
}}
 
'''サンバーナーディーノ列車脱線事故'''('''ダフィー・ストリート列車事故'''としても知られているは、関連した2つの別個の事故の総称である。ひとつは、[[1989年]][[5月12日]][[アメリカ合衆国]]の[[カリフォルニア州]][[サンバーナーディーノ_(カリフォルニア州)|サンバーナーディーノ]]で発生した列車[[列車脱線事故]]であり、もうひとつは、引き続いて同年[[5月25日]]に発生した事故復旧作業にあっていた重機による[[石油パイプライン]]の損傷火災事故である。
 
==列車脱線事故==
1989年5月12日午前7時36分、カホン峠を下ってきた[[サザン・パシフィック鉄道]]の[[貨物列車]](機関車6両+貨車等69両、SP 7551 East 列車)が脱線し、さらに「ダフィー・ストリート」と呼ばれる住宅地に突っ込んだ<ref name="NTSB_DOC26">{{cite web
| url = http://pstrust.org/library/docs/ntsb_doc26.pdf
| title = Railroad Accident Report&mdash; Derailment of Southern Pacific Transportation Company Freight Train on May 12, 1989, and Subsequent Rupture of Calnev Petroleum Pipeline on May 25, 1989&mdash; San Bernardino, California
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| publisher = [[:en:National Transportation Safety Board|National Transportation Safety Board]]
| pages = vi&ndash;vii
}}</ref> 事故現場はカホン川低地帯とフットヒル・フリーウェイ(ルート210)の交差部のちょうど北東部にあたる。
 
この事故により、列車先頭の本務機関車4ユニットの第1ユニット乗務の[[車掌]]と第3ユニット乗務の制動手、および沿線住民2名が死亡した。また、列車は全ての車両が損壊し、沿線の7棟が倒壊した。この事故は、モハベ駅の係員が列車重量の計算をミスしたことに加え、機関士および乗務員らが誰も複数の後部補機の機械[[ブレーキ]]が故障していることに気づかずに、制動力が不足したままの状態で下り[[線形 (路線)|勾配]]にさしかかったため、加速を止められずに列車が暴走したことが原因である。
 
下り勾配で速度が落ちないことから、機関士がブレーキが効いていないことに気づいて[[非常ブレーキ]]を必死にかけたが、実はこの非常ブレーキ操作によって自動的に機械ブレーキが解除されたため、かえって列車は速度をより上げる結果となった。そして、列車はダフィー・ストリート手前のカーブで時速約177キロメートル(時速約110[[マイル]])まで加速し、先頭部の機関車(本務機)および何両もの貨車が沿線の住宅に脱線衝突した。サンバーナーディーノを通過する列車の速度制限は時速56キロメートル(時速約35マイル)である。
 
機関車から回収された[[ブラックボックス (航空)|ブラックボックス]]の解析により、先頭部の第3機関車ユニットについては、実際には機械ブレーキの動作音がしていたにも関わらず機械ブレーキが故障しており全く効かない状態であったことが明らかとなった。また、複数機関車からなる後補機を運転していた機関士が自身が運転するそれら機関車のブレーキに異常があったにもかかわらず、本務機に対してその報告を怠っていたことが事故後明らかとなった。この事故の背景は、重量計算ミスおよび乗務員同士のコミュニケーション不足、ブレーキ装置の不良という複数の要因が介在しているが、結果として、機関車の制動能力を超えた積載重量の貨物列車は、下り勾配で重い貨車が機関車を押し下げて急激に加速し大幅に速度超過に陥り、この速度に対してダフィー・ストリート手前のカーブの線形があまりに急カーブであったため、列車は線路に沿ってカーブを曲がりきれずにそのまま脱線・暴走した。<ref>"Mayday - Runaway Train" National Geographic Channel Documentary</ref>
 
==石油パイプラインの破裂と出火==
当該事故現場では線路用地に沿って地下約1.83メートル(6[[フィート]])に14[[インチ]]高圧石油輸送パイプラインが敷設されていた。脱線事故から13日後の1989年5月22日午前8時05分にこのパイプラインが破裂して、石油が付近一帯に噴出して、さらに引火して大火災となった。これにより2人が死亡し、11棟以上もの住宅が焼失した。
 
==事故後について==
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===事故で損失した車両===
先頭部の機関車4ユニット全て (SP(SP 8278、SP 7551、SP 7549 および SP 9340)9340)が全損。補機2ユニット(SP 8317、SP 7443)は脱線したものの、修復された。なお、SP 8317はサザン・パシフィック鉄道に復帰せずHelm Leasingへ売却され、SP 7443は2000年3月17日に退役したのち、5インチ6フィート軌間に改修されてブラジル MRS-Logistica #5313として活躍した。
 
69両の貨車全ては脱線し、事故現場で解体された。