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[[ファイル:BRABHAM BMW BT52 1983.jpg|250px|thumb|ブラバム BT52<!--B?-->]]
=== BT52 ===
1982年11月に安全上の理由から[[グラウンド・エフェクト・カー]]が禁止となった。ブラバムはグラウンド・エフェクト存続を前提にしたBT51を製作していたが、規定変更のために使用できなくなった<ref name="Brabham254">{{Cite book|last=Henry |first=Alan |title=Brabham: The Grand Prix Cars |year=1985 |publisher=Hazleton Publishing |language=英語 |isbn=0-905138-36-8 |pages=pp.254-256}}</ref>ため、急遽フラットボトム規定に合致したBT52を製作することとなった。
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|title=Brabham: The Grand Prix Cars
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}}</ref>ため、急遽フラットボトム規定に合致したBT52を製作することとなった。
 
製作時間が極端に短かったため、風洞実験を行う時間がなかった<ref name="R on 451">{{Cite book|和書|editor= |title=レーシングオン ブラバム特集号|year=2011|publisher=三栄書房|pages=p.67|id=ISBN 9784779611759}}</ref>。そのため、大きな固定式のウイングを取り付けることによってダウンフォースを稼ぎ、大きなサイドポンツーンを取り付けることによるダウンフォースの計算を省くために、できるだけコンパクトなサイドポンツーンとなった<ref name="R on 451" />。これによってリヤタイヤへの荷重を増やすもくろみもあった。
デザイナーのマレーは車体をコンパクトにすることを念頭に、車体は短く、サイドポンツーンはリヤタイヤ付近に最小の大きさとなった。これによってリヤタイヤへの荷重を増やすもくろみもあった。[[ダーツ]]の様な外観の車体はダウンフォースを特大のリアウィングで稼いでいた。[[モノコック]]は軽量化の為アルミとカーボンファイバー素材を使用している。エンジンは[[KKK]]製ターボを搭載した[[BMW]][[直列4気筒|直4]][[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンで、予選仕様で750[[馬力]]、決勝仕様で640馬力を発生させた。[[1982年のF1世界選手権|1982年シーズン]]中盤にマレーが提案し、チームが[[ブラバム・BT50|BT50]]でテストを行っていたレース中の給油が1983年から使用されたため、あわせて燃料タンクは小型のものがコクピット後方の高い位置に据付けられた。
 
デザイナーのマレーは車体をコンパクトにすることを念頭に、車体は短く、サイドポンツーンはリヤタイヤ付近に最小の大きさとなった。これによってリヤタイヤへの荷重を増やすもくろみもあった。[[ダーツ]]の様な外観の車体はダウンフォースを特大のリアウィングで稼いでいた。[[モノコック]]は軽量化の為アルミとカーボンファイバー素材を使用している。エンジンは[[KKK]]製ターボを搭載した[[BMW]][[直列4気筒|直4]][[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンで、予選仕様で750[[馬力]]、決勝仕様で640馬力を発生させた。[[1982年のF1世界選手権|1982年シーズン]]中盤にマレーが提案し、チームが[[ブラバム・BT50|BT50]]でテストを行っていたレース中の給油が1983年から使用されたため、あわせて燃料タンクは小型のものがコクピット後方の高い位置に据付けられた。
 
BT52は運転が容易で、ネルソン・ピケも好成績を収めた。好敵手の[[ルノーF1|ルノー]]の[[アラン・プロスト]]や[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]の[[ルネ・アルヌー]]に対し不運続きであった事もありシーズン半ばにはタイトルを落としたように見えたが、燃料供給元の[[カストロール]]がBMWエンジン用の特別な燃料を開発、またルノーがシーズン後半にはエンジンの開発を止めてしまった事も重なりシーズン3勝をあげ、ターボエンジン搭載車での初のワールドチャンピオンという栄誉に浴する事となる。チームもコンストラクターズポイント3位でシーズンを終えた。