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[[Image:Borj-toghrul.jpg|thumb|right|[[テヘラン]]近郊レイにあるトゥグリル・ベク廟(11世紀)]]
'''トゥグリル・ベク'''( طغرل بك '''Tughril Beg''' طغرل بك 、 ركن الدين طغرل بيك أبو طالب طغرل بيك محمد بن ميكائيل بن سلجوق Rukn al-Dīn Abū Ṭalīb Ṭughril Bayk Muḥammad b. Mīkā'īl b. Saljūq、 [[993年]]-[[1063年]])は、[[セルジューク朝]]の初代[[スルターン]](在位:[[1038年]]-1063年)。
 
[[キルギス]]草原から[[ブハラ]]方面に進出して勢力を拡大した[[テュルク]]系[[遊牧民]]集団の族長である[[セルジューク]](セルチュク)の孫に当たる人物で、セルジュークの息子のひとりミーカーイールの三男であったらしい。兄にチャグリー・ベクがいる。父であるミーカーイールがムスリム化していないテュルク集団への外征中に戦死した後に、チャグリー・ベクと部衆を分け合ってセルジューク集団を率いていたようである。その智勇に優れていたことから祖父と同じく族長となった。この集団は開祖にちなんでセルジューク族を名乗った。