「ニッキー・ホプキンス」の版間の差分

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ホプキンスはセッション・ミュージシャンとしての経歴を1960年代初めのロンドンでスタートさせる。たちどころに当時のミュージック・シーンにおける売れっ子プレーヤーの一人となり、流暢で機敏な[[ブギ|ブギウギ]]は多くのヒット・ナンバーのピアノ・スタイルに影響を及ぼした。彼はセッション・ピアニストとして[[シェル・タルミー]]や[[ミッキー・モスト]]といった独立プロデューサーを通じて[[キンクス]]、[[ドノヴァン]]、そして[[1965年]]には[[ザ・フー]]のデビュー・アルバム『[[マイ・ジェネレイション]]』の録音に参加している。彼は[[ビートルズ]]、[[ザ・ローリング・ストーンズ]]や[[ジョン・レノン]]、[[ジェフ・ベック]]を含む60年代のトップ・アーティスツのレコーディングに参加した。
 
ザ・ローリング・ストーンズとのセッションでは『[[ビトウィーン・ザ・バトンズ]]』、『[[サタニック・マジェスティーズ]]』、『[[ベガーズ・バンケット]]』、『[[レット・イット・ブリード]]』といった作品でそのピアノ・プレイを披露している。またレット・イット・ブリードのアルバム・セッション時、[[キース・リチャード]]の到着を待つ間に[[ミック・ジャガー]]、[[ビル・ワイマン]]、[[チャーリー・ワッツ]]、[[ライ・クーダー]]とともに行ったジャムは[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から『[[ジャミング・ウィズ・エドワード]]』のタイトルでリリースされた。タイトルの「エドワード」とはホプキンスの愛称であった。その愛称を曲名にした「Edward, the Mad Shirt Grinder」は[[クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス]]のアルバム「Shady Grove」に収録されている(1973年のソロ・アルバムにも同曲のあらたな録音が収録されている)。
 
バンドのメンバーとしての活動は、[[1967年]]のジェフ・ベック・グループのアルバム『[[トゥルース (アルバム)|トゥルース]]』を録音後のUKツアーの後グループに加入、『[[ベック・オラ]]』を録音して、[[1969年]]のアメリカ・ツアーの6月グループを去り、サンフランシスコのミュージシャンと接近する。