「イスパノ・スイザ HS.404」の版間の差分

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== 開発経緯 ==
[[イスパノ・スイザ]]社は[[スイス]]の[[エリコン]]社が開発した初期型[[エリコンFF 20 mm 機関砲|エリコンFFS]]航空機関砲の[[ライセンス]]を取得してフランスでHS.7およびHS.9として生産を行った。[[1930年代]]、同社の技術者[[マルク・ビルキヒト]] (Mark Birkigt) は、これらに機構の改修と連射能力、[[砲口初速]]の向上といった改良を施し、タイプ 404 (HS.404) を完成させた。エリコンではAPIブローバックだった作動方式は、ショートリコイルとロック解放時にガス圧作動という併用方式に改められていた。他にはない種の航空機関砲と考えられ、特にイスパノ・スイザ 12Y エンジンのドライブシャフト上に発射機構を備えた設計が[[第二次世界大戦]]の勃発前からフランスで採用され、そのシステムは[[モーターカノン|モータカノン]] (Moteur-canon) と呼ばれた。HS.404の装弾数は多くても60発(ドラムマガジン)で、飛行中にドラムを交換することができない航空機では、弾薬不足が問題になった。[[1940年]]にベルト給弾システムの開発で解決が試みられたが、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|フランスの降伏]]で計画は頓挫した。
 
イギリスはHS.404の製造許可を取りつけ、イスパノ Mk. I (Hispano Mark I) として1940年に[[ウェストランド ホワールウィンド]]へ搭載し、後にイギリスでベルト給弾システムが開発された。[[バトル・オブ・ブリテン]]中には[[スーパーマリン スピットファイア]]にも搭載(Mk.Ib/Mk.II)されたが、旋回時の装弾不良などから部隊での評判は必ずしも良くはなかった。さらに[[イギリス空軍]]と[[イギリス海軍]]艦隊航空隊は[[1941年]]に細かな改良を加えたイスパノ Mk. II (Hispano Mark II) を採用し、ブローニング機関銃8挺を装備していた[[ホーカー ハリケーン]] Mk. Iと熱帯地用の[[スーパーマリン スピットファイア]]へ搭載させた。後のイギリス空軍戦闘機に搭載される標準武装になるが、当初作動不良を頻発したため、スピットファイアでは暫定的に20mm砲2門と7.7mm機銃4挺のB翼装備で配備され、改善後に4門装備も可能なユニバーサルウィングことC翼が標準となり、タイフーンMk.IB以降、テンペストMk.Vでも4門装備であった。
 
HS.404の製造はアメリカ合衆国のためにも認可された。20 mm 機関砲への更新を予定していた[[アメリカ陸軍航空隊]]と[[アメリカ海軍]]では、[[1941年]]に弾薬の製造を含む大規模な製造計画が練られ、十分な生産準備ができたのと時を同じくしてHS.404が到着した。しかし、届けられた機関砲は信頼性に乏しく、不発が弾薬を無駄にしてしまう代物であった。イギリスは自国の生産数を軽減するためにM1の輸入に興味を示したが、M1を受け取ると出来の悪さに失望した。イギリスでは主にわずかに短いチャンバーの違いが問題の原因であると考えられ、1942年4月にイギリスのMk. IIが比較のためアメリカに送られた。アメリカではチャンバーの修正を断ったものの、他所の修正を行うことで少しでも信頼性を高めようとM2が開発されたが、これも成功とは言い難かった。アメリカ海軍は戦争を通して機関砲で武装の統一を試みていたが、全面的に切り替えられることはなく、対地攻撃任務向けに[[F6F (航空機)|F6F]]や[[F4U (航空機)|F4U]]の一部に搭載されたにすぎなかった。
 
イギリスはアメリカ製の導入をあきらめ、生産力ももはや問題ではないレベルまで上向いていた。また、砲口初速を犠牲にして重量の軽減と速射性を高め、銃身を短くしたイスパノ Mk. V (Hispano Mark V) にアップグレード、テンペストMk.Vなどに搭載した。アメリカはMk. Vを真似てM3を開発したが、信頼性の問題は続いた。