「サーアーチー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ぬるぽん (会話 | 投稿記録)
cl,+cat〈Category:種牡馬〉 using AWB
19行目:
}}
 
'''サーアーチー'''(Sir Archy)(Sir Archy)とは[[19世紀]]初頭の[[アメリカ合衆国]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]である。アメリカの[[サラブレッド]]の基礎を作った1頭。
 
両親はともに[[イギリス]]の生まれで、とくに[[ダイオメド]]は初回の[[ダービーステークス]]の勝ち馬である。ダイオメドは種牡馬として失敗し、タダ同然(50[[ギニー]])でアメリカに叩き売られた。サーアーチーはその両親の間に[[バージニア州]]で生まれた。その後何人かの手に渡り、競走馬としてはブランク(Blank)に対する[[ヒートレース|ヒート]]に勝つなどの実績を重ねた。引退後は種牡馬となり、ともに米首位種牡馬となったサーチャールズ(Sir Charles)、バートランド(Bertrand)のほか、[[レキシントン (競走馬)|レキシントン]](Lexington)の祖父であるティモレオン(Timoleon)などを出した。また、[[クォーターホース]]の成立にコッパーボトム(Copperbottom)やサーソロモン(Sir Solomon)らが深く関わったという説がある。
 
[[1833年]][[6月7日]]、28歳で死亡。
 
== おもな産駒 ==
* Sir Charles - 米首位種牡馬5回
* Bertrand - 1835年米首位種牡馬
34行目:
* ヘンリー(Henry) - [[アメリカンエクリプス]](American Eclipse)とのマッチレースに敗れる
 
{{DEFAULTSORT:さあち}}
{{Keiba-stub}}
{{DEFAULTSORT:さあち}}
[[Category:1805年生 (競走馬)|米さあち]]
[[Category:1833年没]]
42行目:
[[Category:アメリカ合衆国調教の競走馬]]
[[Category:競馬殿堂]]
[[Category:種牡馬]]
 
[[en:Sir Archy]]