「太宰府天満宮」の版間の差分

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[[明治]]に入り、[[近代社格制度]]のもとで明治4年([[1871年]])に[[国幣小社]]に列格するとともに神社名を'''太宰府神社'''に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には[[皇族]]を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。同14年([[1881年]])には[[官幣小社]]に昇格、次いで同28年([[1895年]])には[[官幣中社]]に昇格した。神社の国家管理を脱した[[戦後]]の昭和22年([[1947年]])に社号を太宰府天満宮に復した。
 
参道を登りつめた先には[[延寿王院]]があり、ここは[[明治維新|幕末維新]]の策源地といわれ、[[三条実美]]たち公卿5人が3年半余り滞在したところ所である。[[土佐藩|土佐]]脱藩の[[土方久元]][[中岡慎太郎]]もいたが滞在しておりここを[[薩摩藩|薩摩]]の[[西郷隆盛]][[長州藩|長州]]の[[伊藤博文]]、肥前の[[江藤新平]]たちが訪ねてきているが、[[坂本龍馬]]なども来訪している
 
[[画像:Shigasha up200606292300.JPG|right|thumb|205px|境内末社、志賀社(しがしゃ)]]
太宰府天満宮・北野天満宮・[[防府天満宮]]を合わせて「[[日本三大一覧|三天神]]」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを[[大阪天満宮]]等とする説も存在する。