「1954年の日本シリーズ」の版間の差分

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中日と西鉄の両チームの初対決は、共に[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]結成5年目で初のリーグ優勝を果たしたチーム同士の対決で、中日が4勝3敗で勝利し初の日本一に輝いた。特に優勝の原動力となったのは、シーズン32勝を挙げMVP、[[沢村栄治賞|沢村賞]]に輝いた『フォークの元祖』と呼ばれた[[杉下茂]]。シリーズでも5試合に登板、うち4試合に完投(シリーズ記録、現在もタイ記録)の活躍で、2試合連続無得点など不振に苦しむ中日打線をカバーした。三原監督は敗戦の弁で「'''杉下ひとりと勝負したシリーズだった'''」と語った。
 
また、天知監督は3年ぶりに中日の監督に復帰した事と高校野球で中京商(現・[[中京大学附属中京高等学校|中京大中京高校]])が全国制覇を果たした事も話題があったことから、名古屋の街は熱狂にあふれ、日本シリーズで初優勝した事もファンは熱狂した。このシリーズ終了後、天知監督は退任するが2011年現在まで日本プロ野球史上では「日本一決定後に監督を退任」をした唯一の監督となっている(リーグ優勝は[[1978年の日本シリーズ|1978年]],[[1983年の日本シリーズ|1983年]],[[1985年の日本シリーズ|1985年]],[[1994年の日本シリーズ|1994年]]等と複数回ある)
 
なお、この年から最高殊勲賞に輝いた選手に[[トヨタ自動車|トヨタ自動車工業]](ただし、[[広島東洋カープ]]優勝時はスポンサーの都合上[[マツダ]])協賛により記念品として[[高級乗用車]]が贈呈されるが、杉下はその獲得第1号となった。なお、次の日本一を達成した2007年から最高殊勲選手賞への高級乗用車の贈呈は廃止されたため、杉下は中日の選手として高級乗用車を贈呈された最初で最後の選手となった。