「モンロー主義」の版間の差分

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南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に[[植民地]]化されず、主権国家としてヨーロッパの干渉を受けるべきでない旨を宣言した。それはさらにヨーロッパの戦争と、ヨーロッパ勢力と植民地間の戦争に対して[[アメリカ合衆国]]は中立を保つが、植民地の新設あるいはアメリカ大陸の独立国家に対するいかなる干渉もアメリカ合衆国への敵対行為と見なすという意図を述べたものであった。
 
合衆国にとって、もう一つの大きな懸念材料は、[[アラスカ]](当時はロシア領)からロシアが[[太平洋]]沿いに[[南下政策]](当初はシアトルまで、最終的にはアンデス山脈沿いにチリおよびアルゼンチンまで)を図ることであった。そのため、この教書はロシアのアメリカ大陸進出に対する牽制という狙いも含んでいた。
 
分かりやすく言うと、欧州に対するアメリカ合衆国による「アメリカ大陸縄張り宣言」である。それに沿って[[1830年]]に[[インディアン移住法]]を定め国家として先住民掃討を進め、また[[米墨戦争]]で領土を割譲させるなど、アメリカ大陸内での勢力拡大を進めた。その後先住民掃討完了を意味する「[[フロンティア]]消滅宣言」のあった1890年ころから太平洋進出を進め始め、[[1898年]]の[[米西戦争]]、[[ハワイ]]併合で事実上モンロー主義は破棄された。「モンロー主義の破棄」とは「アメリカ合衆国の縄張りは南北アメリカ大陸にとどまらない。」ということである。その後さらに[[米比戦争]]、中南米各国に介入する「[[棍棒外交]]」へと続いていく。