「宮本洋二郎」の版間の差分

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== エピソード ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2011年8月}}
*高校時代、冬場はボートで[[中海|錦海]]に出て、足腰を鍛練した。
*選抜のサヨナラ優勝本塁打は、すっぽ抜けのボールを打たれた。チームメイトの吹野勝主将は岡本監督の指示で後攻をとることが多かったため、打たれた宮本は、味方野手が肩を落として引き揚げてくるのを見て、「なんや、まだ裏があるやないか」と思ったという。それほど投球に集中していたのである。ちなみにこの決勝戦では、米子東は宮本のヒット1本のみに抑えられた。
*98年、衰えが見え始めていた[[野村謙二郎]]の後継者として、[[広島県]][[三次市]]出身[[近畿大学]]の大型遊撃手だった[[二岡智宏]]の獲得に奔走する。結果、二岡の入団は確実と見られていたが、ドラフト直前になって巨人の札束攻勢により事態は一転する。近畿大学関係者から球団に入団断りの連絡が入ったが、宮本は「二岡本人から断りの言葉を聞かない限りは引き下がれません」と突っぱねた。しかし宮本へ二岡の言葉が伝わることは最後まで無かった。
**奇しくも同年の11月27日、[[オリックスバッファローズ|オリックス]]スカウトの[[三輪田勝利]]が自殺する事件が起きており、ひどく憔悴しきった宮本の様子を見かねた妻は、しばらくの間、宮本がどこに行くにも付き添ってきたという<ref>『野球小僧』2011年6月号 89ページより</ref>。
 
== 詳細情報 ==