「藤間勘十郎 (8世)」の版間の差分

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== 略歴 ==
* [[1983年]][[4月]] 「七世宗家継承の会」にて藤間凌(リョウ)を名乗り長唄『雨の五郎』で初舞台
* [[1986年]][[1月]] 「第一回藤間康詞リサイタル」にて藤間資真(スケマサ)を名乗る
* [[子役]]時代、『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』([[1987年]] [[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]])において[[伊達政宗]]の幼少期・梵天丸を演じ、「梵天丸もかくありたい」のセリフは一世を風靡した。
* [[1990年]][[9月]] 「宗家藤間流襲名舞踊会」にて、二世・藤間康詞(ミチノリ)を襲名
* [[1998年]][[11月]] 「第一回藤間康詞の会」主宰
* [[2001年]][[3月]] 「第一回一心会」を田中傳次郎と共催
* [[2002年]][[9月]] 「二世勘祖13回忌追善 三世勘祖・八世勘十郎襲名舞踊会」にて、八世宗家・藤間勘十郎襲名
* [[2004年]][[4月]] 「第一回苫舟の会(作・作曲・振付の会)」を主宰 ・苫舟(とまぶね)の筆名で脚本・作曲等も手がける。
* 「一心會」「苫舟の会」「趣向の華」「藝夢」主催。
* [[2007年]][[3月]] フランス・オペラ座の歌舞伎公演に振付師として参加
* 現在は歌舞伎の振付師としても活動。
 
== テレビ出演 ==
*[[2005年]][[3月]]放送[[日本放送協会|NHK]]「[[芸能花舞台]]」に出演。
*[[2005年]][[7月]]放送NHK「[[芸能花舞台]] 伝説の至芸 [[藤間勘祖 (2世)|2世藤間勘祖 ]]」に出演。
*[[2007年]][[1月]]放送NHK「[[芸能花舞台]]」に出演。
*[[2008年]][[10月20日]]放送 NHK「[[トップランナー]]」に出演。
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== 家族 ==
*[[歌舞伎]]舞踊の振り付けを手掛ける日本舞踊の宗家・藤間流[[藤間勘祖 (3世)|三世藤間勘祖]](七世藤間勘十郎、藤間高子)の[[長男]]。父親は[[観世流]][[能楽師]]の[[梅若六郎 (56世)|五十六世梅若六郎]]だが、父母の間に婚姻関係はない<ref>藤間高子『そして始まり』より。</ref>。また[[人間国宝]][[藤間勘祖 (2世)|二世藤間勘祖]](六世藤間勘十郎)、[[藤間紫]]は祖父母にあたる。
*2011年1月、藤間流新年会において、[[北海道日本ハムファイターズ]]の大社オーナーの令嬢[[大社啓二]]の娘と婚約を発表をした。
 
== 表彰 ==
2003年3月 平成14年「藤間会」での『春調娘七種・弥生の花浅草祭』の演技により平成14年度(58回)[[芸術選奨文部科学大臣賞]]新人賞を受賞
 
==人物==
*祖父であり師匠でもある[[藤間勘祖 (2世)|二世藤間勘祖]]は彼が10歳の時に他界している。この経験から、父が瀕死の状態にあった[[中村鷹之資]]<ref>*[[2011年]][[1月9日]]放送の「[[情熱大陸]]」(毎日放送)より。当時鷹之資の父[[中村富十郎 (5代目)]]は直腸ガンで瀕死の状態にあり、まもなく他界した。</ref>の振付を担当した際には、彼に同情する言葉を掛けずに指導した。
 
==注釈==
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[[Category:日本舞踊家|ふしま かんしゆうろう8]]
[[Category:日本の子役|ふしま かんしゆうろう8]]
[[Category:東京都出身の人物|ふしま かんしゆうろう8]]
[[Category:1980年生|ふしま かんしゆうろう8]]
[[Category:存命人物|ふしま かんしゆうろう8]]