「ハドリアヌス2世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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{{複数の問題|ソートキー=人0872年没
| 出典の明記 = 2012年4月
| 参照方法 = 2012年4月
| 独自研究 = 2012年4月
}}
{{ infobox 教皇
| 日本語名 = ハドリアヌス2世
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== 生涯 ==
出身は[[ローマ]]。家系は[[貴族]]で[[司祭]]や[[枢機卿]]を歴任した。867年11月13日に先代のニコラウス1世が死去したため、12月14日に76歳の高齢で[[教皇]]に選出された。{{独自研究範囲|date=2012年4月|しかし高齢のためか優柔不断で気弱な一面があり、}}[[対立教皇]]の[[アナスタシウス (対立教皇)|アナスタシウス]]に教皇の職務を任せるという失敗を犯した。さらにローマ教会の混乱を見て、傘下にあった[[ブルガリア教会]]もローマ教会を見限って[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス総主教]]の傘下に入ってしまった。
 
失政を続けたハドリアヌス2世は、もともと高齢だったため在位4年11ヶ月と17日で、872年12月{{要出典範囲|date=2012年4月|(11月ともされる)}}に死去した。81歳没。
 
== 参考文献 ==
<!--* 『ローマ教皇歴代誌』([[創元社]])-->
 
{{ローマ教皇|107代:867年 - 872年}}