Wikipedia:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについて

Wikipedia:井戸端/subj/嘘の出典提示の是非と悪質性で虚偽の出典を提示し、執筆に使用した出典を意図的に秘匿する可変IPユーザーについて質問したところ、コメント依頼の利用を勧められました。なので、こちらでコメントを依頼します。--オオミズナギドリ 2012年2月7日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

コメント理由 編集

該当するユーザー 編集

関連性のあるユーザー 編集

勝手にすみませんが期間を記載し、ソートしました--JapaneseA 2012年2月10日 (金) 06:26 (UTC)[返信]

関連性 編集

三者に共通する点 編集

  • 活動期間がIP:210.131.156.169会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisを除いて重複していない。Kotoitoさんの調査(利用者:Kotoito/調査2)で挙げられている他のIPについても同様です。
  • 数日の間ウィキペディアの編集を一切行わずに記事を書き溜め、1-2日の間に集中して書き溜めた記事を投稿する点(シェーラ氏が直近まで編集を行っていたソックパペット({利用者:デュオ会話 / 投稿記録 / 記録・{User2|ドルチェット}})・IPユーザー・エイルン氏に共通。Kotoitoさんの調査を参照して、IPユーザーの編集日時を見ていただければ分かりやすいかと思います)
  • 編集分野(歴史上の人物の伝記)が共通。
  • 他者から指摘を受けた時に、いわゆる「逆ギレ」をする点も一致していますが、世の中にはこんな人は多いので根拠としては非常に弱いでしょう。
  • 敵対視する人間を口撃するときに、相手を詰る文を強調する癖も共通していますが、世の中にはこんな人は多いのでまず根拠にはなりえないでしょう。

シェーラ氏・IPユーザーとの関連性 編集

IPユーザー・エイルン氏の関連性 編集

  • エイルン氏がアカウント作成(2011年9月29日 (木) 08:17)の直後に加筆した池田光政(2011年9月29日 (木) 09:48 - 2011年9月30日 (金) 13:05)は、約13,000バイト増加、アカウント取得前に記事の下書きをしていたと考えるべきか?
  • エイルン氏はIP時代に編集した記事は「参考文献で日本史の人物で脚注を用いているもので大幅改訂・新規のもの」「人物叢書で記事を投稿した」である。また、「世界史関係において私が投稿したと言われましても知識の無い私が投稿するのは不可能」と言っており、前に挙げたIPの中に三つの条件全てを満たすものは無い。
  • 参考文献欄に記す書籍を他の記事からコピペしている点も同じですが、根拠としては弱いでしょう。
  • エイルン氏が参考文献に挙げた書籍のうち『ムガル帝国歴代誌』について、IP:124.108.252.64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisが実際に参照していたことを確認しました。根拠になるのでしょうか?
  • 利用者‐会話:Greatupperでの文体、Greatupperさんへの対応は……私の主観が入っているのでまず根拠にはなりえないでしょう。

シェーラ氏・エイルン氏の関連性 編集

  • エイルン氏はシェーラ氏と別人であると回答している。

関連性を否定するもの 編集

  • エイルン氏がアカウント取得前に編集した記事。
  • 短く見積もっても2年半以上にわたって機械的に大量の記事を投稿していたIPユーザーが、2011年9月14日 (水) 15:03の編集を最後に姿を消しているのはちょっと妙。Portal:歴史の新着記事を観察し続けているのですが、IPが変化した当該ユーザーが立項したと思しき記事を見つけられませんでした。当該ユーザーと同一性の高いIPをご存知の方は必ず報告を願います。
  • 過去に行われたチェックユーザー(Wikipedia:CheckUser依頼/シェーラ・五十海の総一朗)の記録が残っていれば、これも判別の材料になるかもしれないのですが。

下記のやり取り、エイルン氏のコメントを踏まえたうえで整理し、依頼当初に記述するべきか迷ったところを書きました。--オオミズナギドリ 2012年2月13日 (月) 13:43 (UTC)[返信]

経緯 編集

  • 上記IP群のユーザーは2年以上にわたって大量の記事を投稿している。
  • 記事の加筆にあたって参考文献・関連文献に挙げられている書籍を参照したところ、その中には「虚偽の出典を提示」「意図的に出典を秘匿した記事」に該当するものが相当量存在する。
  • 利用者‐会話:124.108.252.64で、最初に会話ページで出典の提示を求めるが、返答は無く編集を続行している。(挑発的な私の姿勢にもいくらか問題はあると思いますが)
  • 次に参考文献に記載されている書籍のページ数を注釈で付記するように伝える。(利用者‐会話:203.148.112.85ノート:シク教国)返答はあるが、自分で記事の改善を行う意思の表示と具体的なページ数の提示は無し。
  • 上記のIPが取得したと思われるアカウント(利用者:エイルン会話 / 投稿記録 / 記録)を見つけ、 編集分野と連続投稿の頻度より同一人物と判断する。
  • 上記のIPと同一人物かどうか、以前にブロックを受けた利用者:シェーラ会話 / 投稿記録 / 記録のソックパペットではないかと質問する。(利用者‐会話:オオミズナギドリ利用者‐会話:エイルンを参照)
  • 上記のIPと同一人物かどうかについては、明確な回答無し。シェーラ氏のソックパペットであることは否定する。
  • 会話ページに「新規の記事の立項・既存の記事の加筆をする前に、過去に編集した記事を改善していただきたいのです」と書くが、この呼びかけに返答は無し。
  • エイルン氏は現在も編集を続けている。

虚偽の出典が提示された記事 編集

  • アーディル・キトブガー:『新イスラム事典』(平凡社)に当該人物の項目は無く、「マムルーク朝」とそれに関連する項目でも事績を確認できない。そもそも、平凡社は『イスラム事典』という書籍を出版していない。
  • ベルディ・ベク:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)には、「1357年にはジョチ・ウルスの〜各地に君主が乱立することになった。」という文に相当する記述が存在しない。
  • トクタキヤ:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)には、当該人物の事績に関する記述は存在しない。
  • ティムール・メリク:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)では、上段の人物の事績に関する記述は存在しない。『新イスラム事典』(平凡社)に下段の人物の項目は無く、関連性の強い項目にも事績は記されていない。
  • ゴンチェク:要出典範囲を貼付した個所は、『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)で確認できず。
  • ナリク:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)には、「差し置いてほとんど簒奪に〜暗殺されたという。」という文に相当する記述が存在しない。
  • エセン・ブカ:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)では、二段落目の記述(「。1308年にゴンチェクが死去すると〜弟と共同統治を行なった。」)に相当する箇所を確認できない。
  • ケベク:二段落目の「1308年に第12代のゴンチェクが死去すると」から三段落目最後の「2度と分裂が戻ることは無かった。」までの範囲の記述に相当する箇所は、『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)に存在しない。
  • トゥグルク・ティムール:『モンゴル帝国史』1-6巻(東洋文庫, 平凡社)には、二段落目以降の記述に相当する文は存在しない。
  • ワイス (モグーリスタン):2011年6月26日 (日) 12:38‎の編集で削除した箇所は、『中央アジア史』(山川出版社)に該当する記述は無し。
  • ソユルガトミシュ:出典範囲タグを貼付した部分(差分)は『中央アジア史』(山川出版社)に該当する記述は無し。
  • スルタン・マフムード (西チャガタイ):『中央アジア史』(山川出版社)で、記事中に書かれた当該人物の事績は確認できない。
  • アルパ・ケウン:『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • ジハーン・テムル:『アジア歴史事典』『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • ムーサー (イルハン朝):『アジア歴史事典』『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • ムハンマド (イルハン朝):『アジア歴史事典』『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • トガ・テムル:『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • アブー・ヤアクーブ・ユースフ:『ユネスコ・アフリカの歴史』4(同朋舎出版)で、コメントアウトした箇所に含まれる分析(衰退が云々)と事績は確認できない。
  • ウトマーン2世:『ユネスコ・アフリカの歴史』4(同朋舎出版)に、記事中に含まれている評価(支離滅裂な政策)は確認できない。
  • ムザッファル・バイバルス:『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に当該人物の事績についての記述無し。
  • アジャ・ガンボ:参考文献に挙げられている書籍のいずれでも、記事中で述べられている当該人物の事績は確認できず。
  • 平安 (明):『アジア歴史事典』『中国歴代皇帝人物事典』に当該人物に関連する記述は無い。
  • ムスタディー:『岩波イスラーム辞典』に当該人物の項目は無く、「アッバース朝」などの関連する項目にも事績は記されていない。そもそも岩波書店は『イスラーム事典』という書籍を出版していない。
  • ムスタンジド:『岩波イスラーム辞典』に当該人物の項目は無く、「アッバース朝」などの関連する項目にも事績は記されていない。
  • アッサリフ・イスマイル・アルマリクノート:アッサリフ・イスマイル・アルマリク:『岩波イスラーム辞典』に当該人物の項目は無い。『イスラームの英雄、サラディン、十字軍と戦った男』に記されていない言説が多数含まれており、出所不明の言説が『イスラームの英雄、サラディン、十字軍と戦った男』に記載されているように見える。
  • エルベク・ハーン:3冊の書籍全てで当該人物の事績を確認できず。
  • クン・テムル:3冊の書籍全てで当該人物の事績を確認できず。
  • 参考文献の『ベトナム人名人物事典』(暁印書館)に下記人物の項目は無し。関連する記述も当方では確認できず。
    • 陳明宗:『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』(中央公論社)に記載されていない情報が含まれている。(差分
    • 陳憲宗
    • 陳裕宗:三段落目の「父同様〜国政を乱した。」という一文は『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』(中央公論社)で確認できず。
    • 楊日礼
    • 陳順宗
    • 陳少帝
    • 陳ケン
  • 『中央アジア歴史群像』(岩波新書)では、下記人物についての記述は確認できない。
  • 参考文献の『中国歴代皇帝人物事典』(河出書房新社)では、下記国家に関連する記述を確認できず。(ノート:丁朝
    • 呉朝
    • 丁朝:改稿にあたって参考文献欄の書籍を参照したところ、『アジア歴史事典』を元にしたと思われる個所は多く存在したが、『ベトナムの事典』を元にした箇所は当方では発見できず。(丁朝
    • 前黎朝
  • シク教国ノート:シク教国:『ムガル帝国歴代誌』(創元社)中に、当該記事に関連する記述は見当たらず。
  • イル・アルスラン:『西アジア史 1 アラブ』(山川出版社)に該当人物についての記述無し。
  • 長宗我部元親差分1差分2:虚偽の出典の提示。

私が確認できただけでも虚偽の出典が提示されている記事と出典が秘匿されている記事はこれだけあり、実際にはより多くの記事で同様の行為がされている可能性が極めて高いと考えます。また、この方には大変失礼なことを述べさせていただきますが、以下の記事の編集傾向より歴史関連を編集するにあたって必要とされる基礎知識が少なく、会話ページでのやり取りも考慮すると文章読解力は低く思えます。

  • 平安 (明)マフムード (オイラト):歴史小説と学術書の区別が付いていない。(小説『永楽帝』オリジナルの設定が加筆され、作中の台詞がほぼそのまま転載されています)
  • ムーサー (イルハン朝):改稿にあたって『モンゴル帝国史』6巻を参照したところ、記事中に書かれている事件の時系列が誤っていた。
  • アシュラフ・ハリール:地名を人名と読み間違えている。(『エジプト マムルーク王朝』には、コウム・タルワジャは地名と明記されているのですが…)

依頼者の意見 編集

虚偽の出典が提示された(と私が破断した記事)の量が多いか少ないかは人によって見解が異なるでしょうが、私個人としては多いと感じます。私としては、一連の虚偽出典の提示と出典の秘匿が意図的なものにしろ、不注意なものにしろ、知識と読解力の不足によるものにせよ、この方には新規の記事の立項と加筆を中断して、過去に投稿した記事の虚偽の出典の除去・秘匿している出典の提示を行っていただきたく思っています。しかし、謝罪と世辞を述べるだけで、曖昧な回答はするものの自分が編集した記事の改善を行おうとしない上記の人物に記事の改善を行わせる見込みはあるのでしょうか。もし無いのであれば、どういった処置を取ればいいのでしょうか。ぶっちゃけ、私一人でこの方が編集したすべての記事の出典を検証するのは無理です。記事の改善のための有益なコメント、もしくは当該人物の行為が虚偽出典の提示に該当しない、ウィキペディアの理念に反しないと判断された場合はその理由についての解説をお願いします。

参考リンク 編集

被依頼者のコメント 編集

エイルン 編集

エイルンです。最近忙しくて中々ウィキペディアに現れることもできませんでした。そのために返答が大幅に遅れましたことをお詫びします。

オオミズナギドリ様から依頼がありましたのでご返答いたします。

まず私エイルンが投稿した長宗我部元親に関して虚偽記載があったとされていたので再度確認いたしました。これに関しては訂正いたします。人物叢書92頁(第4章四国の覇者)ではなく、「二水記」「天正十年夏記」の誤りです。この2つの史料には明智光秀の筆頭の家臣である斉藤利三が信長の四国政策の転換に激怒して光秀に謀反を進めたとあり、利三は本能寺の変の首謀者であったとしています。元親の記事を投稿した時の私はまだ初心者に毛が生えたくらいでしたので、誤記もあったと思います。私が参考にした人物叢書「長宗我部元親」は昭和63年1月1日に発行された新装版です。これに関しては真に申し訳ありませんでした。近いうちに改定することにいたします。

次に私が投稿した記事に関して信頼性に疑いが持たれているようでしたのでご返答いたします。私が投稿した記事に関しましては文章能力の問題の可能性はあるかもしれません。ですが「絶対に」虚偽の記載を投稿したりはしておりません。私が投稿した記事「金沢貞顕」に関しては平成15年7月1日に発行された初版を参考に。「三好長慶」に関しては平成元年5月1日に発行された新装版を参考に。北条義時に関しては昭和61年4月1日に発行された新装版を参考にしております。私は絶対に虚偽の記載などしていません。またそのような活動をしても私には一切の利益も利害もありません。この点におきましてはなにとぞご理解いただきたくお願いいたします。また対処として今後はどの頁のどの行数の部分を参考にしたかまでを詳細に書くことで納得していただきたいと思います。

次に私がシェーラ氏、ですか?この方と同一人物ではないかとされているようですが否定させていただきます。私はあくまで日本史を基本としています。厳密にいえば日本史の人物に対する関心や知識はあります。また参考にする資料においても「人物叢書」を基本に参考にしています。IPの時に人物叢書で記事を投稿したのは大半が私と思っていただいてもよろしいと思います。ですが私には世界史の知識はほとんどありません。最近は世界史にも興味は持ちはじめておりますがまだまだその程度ですし参考にする史料も乏しいのです。ですから世界史関係において私が投稿したと言われましても知識の無い私が投稿するのは不可能なのです。この項においての世界史の人物ですか?私も知らない名前が多くあります。この点をご理解いただきたくお願いいたします。

さて、こちらからもオオミズナギドリ様にご質問があります。貴方は以前2011年12月23日におきましてもWikipedia:チェックユーザー依頼/エイルンなどで今回と同じ事をなされています。今回は2回目となるわけですが、以前で全て終わったわけではなかったのでしょうか?また今回、歴史関連を編集するにあたって必要とされる基礎知識が少なく、会話ページでのやり取りも考慮すると文章読解力は低く思えますという発言ですが、これは私エイルンや他のIP、ユーザー様の方々を侮辱または侮蔑している発言であると思います。私の文章能力には確かに問題がありますし誤記もあるかもしれません。ですがこの場においてはあくまで参考文献の信頼性などを協議していたはずです。ですがこのように私エイルンを侮蔑する発言があるとなれば貴方とは以後の対話はできません。貴方が思ったことであるとしてもそれをこの場で出す必要は無いはずです。オオミズナギドリ様の行動には何か挑発的なものを感じるのですが私的な感情で人を傷つける行為はやめていただきたいと思います。私の対話には問題があるかもしれませんが他者を侮蔑するような発言は1度もしたことがありません。オオミズナギドリ様の活動は一部ユーザーに対する攻撃ではないかと思えるのですがこの点に関してはどうなのでしょうか?

また別の質問もあります。「信長公記」「元親記」など昔の史料でこの場合の出典に関しては史料の原文を投稿すれば信頼していただけるということでよろしいでしょうか?

長々となりましたが以後もよろしくお願い致します。--エイルン 2012年2月10日 (金) 09:03 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。利用者‐会話:オオミズナギドリ#返答で、「このような発言がある以上貴方とは対話できないことをお伝えしておきます」とおっしゃられたため、返答と質問を聞き入れていただけるかどうか不安ですが。
歴史関連を編集するにあたって必要とされる基礎知識が少なく、会話ページでのやり取りも考慮すると文章読解力は低く思えます」という発言についてです。
「歴史関連を編集するにあたって必要とされる基礎知識が少なく」という点については、貴方とIPユーザーが別人であれば、大変失礼な発言であるため、深く謝罪いたします。というのも、下に書いたように平安 (明)マフムード (オイラト)で見られるように、歴史小説の『永楽帝』(著者の伴野朗先生の経歴・作風・評価については、検索などで確認してください)と学術書の区別が付いていない、それも明軍がポルトガルから取り寄せた神機砲という鉄砲や圧倒的兵力の前に大敗したという高校レベルの世界史の知識を持っていれば明らかに「ヘンだ」と気付く箇所もそのまま記事にしているためです。
「会話ページでのやり取りも考慮すると文章読解力は低く思えます」については、利用者‐会話:オオミズナギドリ#返答利用者‐会話:エイルン#二点質問がありますでのやり取りで、「貴方は利用者:シェーラと同一人物でしょうか?」という質問に対して「意味がよくわかりません」という返答は、こちらの質問が意味不明瞭なものだとも十分考えられるのですが、「上記IPのうち過去に使用したものを教えてはいただけないでしょうか」という質問に対して返答していない(もしくは「IPアドレスを使用していた頃の私は未熟者で、文献を用いたのは事実でありましてもどの頁を参照にしたかということを脚注を用いて説明していませんでした。」という文が回答でしょうか)点が不可解に思えました。利用者‐会話:124.108.252.64で対話拒否をされ、ノート:シク教国利用者‐会話:シェーラ#ヤフヤー1世アブー・ザカリーヤと同じように「そんなもん知らん。お前がやれ」という無責任な返答を最後に呼びかけにも返答が無かった経緯のため、「都合の悪いことを聞かれたために、知らぬ存ぜぬの態度を取っているのではないか」とも思いました。また、投稿履歴を見る限りは二度の「プレビュー機能のお知らせ」にも関わらず連投癖が改善された様子は無く、「上記IPアドレスの編集履歴を見て、過去に使用したものを思い出してください。新規の記事の立項・既存の記事の加筆をする前に、過去に編集した記事を改善していただきたいのです」という私からの呼びかけにも応じたようには見られず、シェーラ氏と同様に敵対視する人間の意見は一切聞き入れない方なのかなと思いました。が、「貴方の曖昧模糊な回答と態度には悪意がある」という私の考えもまた非常に問題があるものであり、Wikipedia:善意にとるというガイドラインに基づいて、「文章読解力が低いのだから、一部の質問に答えないのも、他人の意見を受け入れてくれる様子が無いのもしょうがないよね」と解釈したのです。(それとも、やはり私の文章力に問題があるのでしょうか)
最後に、貴方がIP時代に編集した記事、あるいはIPを上記のIPの編集履歴を見て思い出し、それを私たちに教えてはいただけないでしょうか。この記事群を改善するには、貴方の協力が必要不可欠なのです。「このアカウントを得る数ヶ月前まではIPアドレスにて投稿したこともあります。日本史関係(人物叢書等)を参考にしているのは私のが大半と思います」「IPの時に人物叢書で記事を投稿したのは大半が私と思っていただいてもよろしいと思います」という不明瞭な回答では無く、明確にお願いいたします。--オオミズナギドリ 2012年2月10日 (金) 11:33 (UTC)[返信]

再度ご返答させて頂きます。今回のみはこちらもオオミズナギドリ様に対して質問があるためです。日本史を分野にしている私エイルンがIPの時に書いた日本史関係におきましては多くについて「脚注」を用いて「この分野はこの文献のこの頁を参考にした」事をお知らせしています。つまり参考文献で日本史の人物で脚注を用いているもので大幅改訂・新規のものは間違いなく私の投稿と思われてよいと思います。またオオミズナギドリ様は長宗我部元親人物叢書の文献を確認されたのであれば、あの項以外においては誤記(または虚偽か)は無く正確に書かれていることは理解していただいていると思います。

松茸様の質問にお答えいたします。確かに私には世界史の分野にも興味を広げており、私が投稿したフマーユーン、アイバクなどは間違いなく書かれている参考文献を基本にして改訂したものです。IP時代にも確かに世界史関係でも投稿いたしました。ですがその際も間違いなく脚注を用いて頁数を書き、投稿内容には正確に正確を期すつもりでおこないました。また数も日本史関係におけるほど多く無い事をお伝えいたします。また松茸様の発言で「エイルンさんの投稿にはかなり疑わしい部分や、誤りが相当数含まれていることは間違いないようです」とございますが私の投稿したどの記事にその部分がありましたか。オオミズナギドリ様と同じようにご指摘ください。そのような部分がありましたら直ちに訂正いたします。

オオミズナギドリ様の協力者であるぱたごん様からこのような返答がありました。 オオミズナギドリさんは歴史分野の優良執筆者ですオオミズナギドリさんの書いた記事が良いお手本です。オオミズナギドリさんの記事を目標にして、オオミズナギドリさんの手法を真似てください。エイルンさんはオオミズナギドリさんになにか文句言ってますが、貴方の行為・・出典を偽るなどとんでもないことです。貴方のいたらない編集の後始末に優良執筆者であるオオミズナギドリさんが貴重な時間を多大に使ったことを忘れないでくださいあなたの行為の尻拭いをしてくださっているオオミズナギドリさんに感謝こそすれ文句など言えた義理ではありません。 これはどういう意味ですか。明らかにぱたごん様の発言は行き過ぎがあると思います。この発言を聞いていると「優良執筆者に不良下等な執筆者ごときが偉そうな返答をするな。何も言わずに言うことに従っていたらいいんだ」と言っているように聞こえます。オオミズナギドリ様も同じ気持ちなのでしょうか。そのためにあのような発言が生まれたのでしょうか。先のオオミズナギドリ様の発言、そして今回のぱたごん様の発言は資料の正確性を問題視しているはずの当該項目において必要無い発言であるはずでむしろこちらを挑発敵視しているようにさえ思います。この発言の後に相手にコメント依頼をしても果たして当該者が真剣に回答する気になるかどうかをお考え下さい。またぱたごん様は私が参考文献として使っている資料から脚注に書いてある項目と正確性を確認された上でこのような発言をなさっているのですか。ぱたごん様の発言では確認もしていないのに一方的に「お前だ」「お前の書いたものは全て出鱈目だ」と決めつけているように思えてなりません。ウィキペディアとは百科事典でありまたコミュニティも大切にするところではないのですか。優良執筆者であるなら多少の事は許されるという認識でよろしいのでしょうか。

以上、再び長々となりました。以後もお願いいたします。--エイルン 2012年2月10日 (金) 15:52 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。もう一度質問しますが、貴方がIP時代に編集した記事、または編集に使用したと思うIPを具体的に私たちに教えてはいただけないでしょうか。「つまり参考文献で日本史の人物で脚注を用いているもので大幅改訂・新規のものは間違いなく私の投稿と思われてよいと思います」という、言葉を濁しているとも、逃げ道を作っているとも思える回答ではなく。
松茸さんへの返答についても。二段落目の「『知識の無い私が投稿するのは不可能』と言ってるのに世界史関係の記事を加筆しているのは矛盾があるけどどうしてなのですか?」という発言が、質問に対する回答とすれば、ちょっと意味を理解しかねます。
そして、貴方は「虚偽の出典を提示する」ことの問題性、IPユーザーの行為がいかに深刻なものであるか、理解していらっしゃるのでしょうか。長宗我部元親で「間違いを指摘された箇所だけでも直ちに修正する」というすぐにできる応急処置を取らず、シェーラ氏と同じく(利用者‐会話:シェーラ#対話の必要性)新規に多数の記事を加筆・立項しているあなたの行動を見ると、どうもそうは思えないのです。他者の意見を聞き入れて行動に移そうとしない、都合の悪い質問には意味不明瞭な回答を返すという行為は、文章読解力の低い人間が行ったものでなければ、「対話拒否をしている」と捉えられてもおかしくは無いと思います。(そして、現に私はそう考えています)「優良執筆者であるなら多少の事は許されるという認識でよろしいのでしょうか」と仰っていますが、「初心者だから多少の事は許されると認識」して、敵対視する人間の意見を一切受け入れず行動されているのであれば、極めて残念に思います。--オオミズナギドリ 2012年2月10日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
まず最初に、「他者の意見を聞き入れて行動に移そうとしない」という発言については、私の誤解であり、その点について謝罪いたします。先程、松茸さんの挙げた記事を確認したところ、[2]で当該IPユーザーが投稿した記事の一つ([3])を修正していたことを確認しました。この編集で貴方が記事の改善を行おうと意思を持っておられることを改めて確認し、私も安堵しました。私の疑念を完全に拭い去るために、「貴方がIP時代に編集した記事」をよく思い出したうえでそれを書き、シェーラ氏あるいはIP群との関連性が無い(か、限りなく低い)ことを示していただきたいのですが、思い出すのは難しいでしょうか。
もう一つ。[4]で一切の説明も無く参考文献を除去しておられますが、実際に『アジア歴史事典』を読んで記述と項目を確認できなかったにせよ、『アジア歴史事典』を使わずにリライトしたにせよ、他の理由があるにせよ、参考文献を除去する場合には理由を要約欄かノートページに記していただけないでしょうか。他者とのトラブルを避け、コミュニケーションを円滑に進めるためにも、この点については毛嫌いしておられる私の意見であっても受け入れて欲しく思います。(『アジア歴史事典』を参照して除去したのであれば一つ妙な点がありますがそれはさておいて)--オオミズナギドリ 2012年2月11日 (土) 16:06 (UTC)[返信]
エイルンさんがIP氏とは違う人物だというならば、[5]で何故エイルンさんはIP氏が提示した『アジア歴史事典』を除去できたのでしょうか?IP氏ならば虚偽出典であることを自覚できたでしょうが・・・--ぱたごん 2012年2月11日 (土) 17:31 (UTC)[返信]

第三者からのコメント 編集

  コメント まずは、依頼者様には(まだであれば)、被依頼者であるエイルン様にコメント依頼提出をお伝え頂くよう御願いします。次に私が作成した例で心苦しいのですがこの例のように時系列順に被依頼者であるIP様の履歴を並べた方が、第3者から見てわかり良いかと思います(ただし可変IPですので該当人物でないと思われる編集は、例のように「別人と判断」として除外すべきでしょう)。以上とり急ぎ--JapaneseA 2012年2月7日 (火) 16:28 (UTC)[返信]

(追記) 依頼者様の仰る通りに、エイルン様の記述に「多々の虚偽の出典」が存在するならば、エイルン様には、新規加筆を一旦おやめ頂き、記事の修正と見直しをして頂く事を強く御願いします。不遜な物言いですみませんが、虚偽の記述がWikipediaで増えて行く事は絶対にとめなければいけないのです。さて依頼者様には、エイルン様・IP様達・ブロックされた方が、大量の誤った編集を行っているとの事ですが、故意であった場合、一体何のメリットがあるのか疑問を感じます。もちろん世の中には色々な恣意的な考えを持ったり、利害やイデオロギーがあるのもわかります。かくいう私もあちこちに首を突っ込んでは当事者や傍観者になっています。しかし記事を見るからに長宗我部元親以外は、全く聞いた事もなく人名なのか地名なのかも判断できないものです(私が不勉強なだけかもですが?)。果たしてイデオロギー等を持ちこみ故意に誤る対象なのでしょうか?(これが竹島とか福島第一原子力発電所事故などであればわかる話なのですが)。 反対にうっかりミスがこれほど重なるかと言えばそれも疑問です。となるとイタズラが妥当なように思えます。ただし被依頼者が同一人物でなければ、1人数回(それでも多いですが)ですのでやはりうっかりミスが重なったと、とれなくもありません。 また、被依頼者様が同一であるとされる根拠は「虚偽の出典が多い」と「編集対象の記事が同じ」でしょうか? Wikipediaにおいて「虚偽の出典」は珍しいものなのかよくある事なのかわかりかねます。この辺りは他の方の御意見を伺いたく思います。何にせよ、悪質かどうかの判断よりも、これ以上の被害の拡大の防止と記事の修正が最優先事項かと思います。--JapaneseA 2012年2月7日 (火) 17:03 (UTC)[返信]
  コメント ご指摘の通り、IP群を時系列順に並び替え、ご本人にコメント依頼を提出したことを伝えました。
  • 「故意であった場合、一体何のメリットがあるのか疑問を感じます。」とのことですが、
  • 出典に使用すると第三者から「それは典拠にならねぇだろ」という指摘を受けるものを隠匿できる
  • 実際は単一の書籍しか参照していない記事であるが、第三者に複数の書籍を参照している信頼性の高い記事のように思わせることができる
  • 独自研究を、専門家が主張する学説のように見せかけることができる
というメリットがありますね。
  • 同一とする根拠は、ぱっと挙げると以下の通りです。
ともあれ、「しかし記事を見るからに長宗我部元親以外は、全く聞いた事もなく人名なのか地名なのかも判断できないものです」と仰られるように、認知度の低い分野で虚偽出典の提示がされると問題を指摘・修正する人が中々現れないため、WP:VWP:CITEに反した記事が長期にわたって放置されるので、とても困っているのです。--オオミズナギドリ 2012年2月7日 (火) 22:59 (UTC)補足。--オオミズナギドリ 2012年2月8日 (水) 10:38 (UTC)[返信]

  コメント ざっと読んだだけで原典に当たっていないままのコメントで恐縮ですが、まず、エイルンさんとIP利用者との関連性が断言できるほどの証拠を伴っていないことから、現状で活動しているエイルンさんにIP利用者の分までの対処を求めることは難しいと思います。また、依頼者の指摘している案件のうち「関連文献」「参考文献」節への文献提示のみのケースは、個々の文章全ての出典が当該文献に載っていない可能性も高いです。要は、うろ覚えの知識で記事を書いてから、読んだことがある関連書籍やネット検索で引っかかった書籍名、参考とした個人サイトに書いてあった出典(孫引き)を追記しただけという可能性です。そういった編集は初心者にしばしば見受けられます。とは言え、このまま放置するのは問題があります。まず出来そうなこととしては、

  1. 当該IP利用者とエイルンさんの編集に{{要出典}}を付し、一定期間後までに出典が付与されない場合は除去する、
  2. 当該IP利用者が初版で「関連文献」「参考文献」として挙げた文献を一旦除去し、冒頭に{{出典の明記}}を貼り、一定期間後までに出典が付与されない場合は除去する、

といったところでしょうか。ただ、<ref></ref>形式で貼られた虚偽の出典については、実際に書籍を確認しないと難しいです。これらは気付いた人が徐々に対処するしかないと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年2月8日 (水) 05:21 (UTC)[返信]

  コメント コメントありがとうございます。関連性があると断言できる証拠が無いからIP利用者の分の対処も求めることが難しいとのことですが、これは私にとって受け入れがたく感じます。利用者‐会話:エイルン#二点質問があります利用者‐会話:オオミズナギドリ#返答で、「シェーラ氏と同一人物であるか」という質問では「はい」「いいえ」のいずれか判別できない回答を経て明確な回答を得るまでに3回のやり取りを交わしたこと、「以前は以下のIPで活動されていた方でしょうか」「私が挙げたIPのうち過去に使用したものを教えていただけないでしょうか」という質問でも、やはり「はい」「いいえ」のいずれともつかない曖昧な返答をするばかりで結局はIP利用者と同一人物であるかについて回答しなかった、自分の都合の悪い質問に対してシラを切り通そうとしているとも取れる態度には苛立ちを覚えています。無論、エイルン氏とIP利用者の関連性が無い、あるいは限りなく低いことが明確にされれば、この提案には同意いたします。また、こうした行為が初心者にしばしば見受けられるとはいえ、誰の指摘も無かったとはいえ1年超(ともすれば8年近く)にもわたって自己の編集姿勢に疑問を抱くことなく初心者的行為を続け、利用者‐会話:124.108.252.64での私及びその他の方の呼びかけに反応を示さない人物に対して、正直なところ寛大な態度は取れません。
私の方でも確認できた記事は改稿を行うほか、応急処置として要出典・参照方法・独自研究タグを貼付しています。しかし、記事の量は多いために時間がかかり、また陳明宗陳憲宗などの記事ではWP:CITEWP:Vについて若干思い違いをしておられる方からタグを外されるリバートを受けました。(もっとも、このIPの方がリバートを行った理由は別の所にあると思われ、また陳明宗陳少帝はこの方の協力によって状態は以前に比べ大分改善されました)この方のように事情を知らない方が私の編集に対してリバートを行うことは十二分に考えられ、場合によっては私自身が荒らし扱いされて面倒なことになるのではないかと懸念を抱いています。--オオミズナギドリ 2012年2月8日 (水) 12:12 (UTC)[返信]
なるほど、Law soma様の仰る通りですね。本やネットに載っている情報『嘘犬図鑑38Pによると「犬は爬虫類である」』をそのまま『「犬は爬虫類である」出典は嘘犬図鑑38P』と書くわけですか。それならば誰しもがやりそうですね。また依頼者様に御回答頂いた、虚偽の出典のメリットは「編集を行った達成感や名誉」のように集約できそうです。これで謎がつながりました。という事は、ありとあらゆる記事でそういう可能性があるという事になりますね(恐ろしい話です)。となると「虚偽の出典」だけを理由として各ユーザを同一人物とするのは無理があるように思えます。 さて、「各IP様とブロックユーザが同一人物である可能性が高い」とする根拠はわかりました。しかしエイルン様とそれらのユーザが一緒である根拠が今一つ乏しいように思えます。私に対する御答の1,3,4,6,7,8点目はIP様とブロックユーザの関係であってエイルン様には全く関係なく、5点目はエイルン様を含む多数のアカウントユーザに該当します。唯一の証拠となる2点目ですが、この文章を比較しても同一人物であるかどうか肯定も否定もできかねます。また、「質問に対する回答に対し、歯切れが悪い」との御意見ですが、善意にとれば「初心者故、質問の意味がわからなかっただけ」となります。マニュアル全て読んでからアカウント作ったり編集したりする方であればともかく、私のように後からルールを知るユーザもいます(これはこれで推奨できない行為ですが)。いきなり「誰かと同一人物か?」と聞かれても「???」になりませんか? エイルン様とIP様とブロックユーザの共通のクセ(送り仮名やカタカナ/ひらがなのどちらを使用するか、敬語の使い方など)を任意の100人程度のユーザと比較すると良いかもしれません(過去に私はこの調査をやった事があります)。現時点では難しい分野の「同じ記事を編集している」のが一番の根拠だと思います。これを持って同一人物であるとするには無理があります。一方、同一人物でないとする根拠もありません。長々と書きましたが「シロともクロとも言えない」が第3者である私の判断です。 次に「場合によっては私自身が荒らし扱いされて」ですが、編集要約に(理由はWikipedia:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについて参照)と書けば、荒らし扱いする人はいないと思います。--JapaneseA 2012年2月8日 (水) 19:20 (UTC)[返信]
(追記)私はブロック依頼やコメント依頼での被依頼者を善意に判断してしまう傾向があるので、申し上げた事は的外れかもしれません。--JapaneseA 2012年2月8日 (水) 19:23 (UTC)[返信]
  コメント 御意見ありがとうございます。エイルン氏とIPユーザーの関係ですが、
  • 同一時期に投稿された記事、同じ記事の中で参考文献の書式が統一されていない。(実際に参照した、参照していない本の両方について)他の記事から参考文献をコピペしている傾向がある。編集の時期が離れた記事で書式が異なるのなら、この点は特に疑問視しないのですが。
  • エイルン氏
  • 関係のありそうな記事
  • 脚注を使ってトリビア的なことを多数記載する
これだけならともかく、「初対面である」私への対応とは逆に、同じく「初対面である」筈の利用者:Greatupperに対する最初の対応は攻撃的であり(利用者‐会話:Greatupper)、以前から敵対視していた相手に対する態度とも感じられるのです。(210.131.156.169さんの投稿記録利用者‐会話:Los688#このような場合はどうすればよろしいのですか?利用者‐会話:210.131.156.169)--オオミズナギドリ 2012年2月8日 (水) 23:03 (UTC)[返信]
会話ページを拝見しました。私見ですが、Greatupper様に対し「攻撃的」であるとは思えません。ただし私は日頃ノートや会話ページで、攻撃的口調をしたり/されたり/見たりを繰り返しておりますので感覚がおかしいのかもしれません。また、編集傾向ですが、その分野で ど素人の私が見ても、同一人物であるのかどうかわかりかねます。他の皆様の御意見も伺った方が宜しいでしょう。「ミートパペット行為に該当しない」かどうか確認の上(重要!!)、被依頼者様達と今まで深く関った方に、当コメント依頼をお知らせしてはいかがでしょうか? なお、全くの私見ですが、エイルン様には特徴があるように思えます。会話には『AさんがBさんの会話ページで質問する、Bさんは自分の会話ページで回答する』か『AさんがBさんの会話ページで質問する、BさんはAさんの会話ページで回答する』の2パターンがありますが、私は前者しか見た事がありません。当コメント依頼より依頼者様とエイルン様の会話ページを拝見して「変わった回答の仕方だな」と個人的に思いました。後者が本当に珍しい事なのかどうかわかりかねますが、IP様やブロックユーザも同じ会話形式を行っているのであれば、判断材料にはなるでしょう。--JapaneseA 2012年2月9日 (木) 07:03 (UTC)[返信]
と思ったのですが、たった今、後者のパターンを使用される方(当件には何の関りもない編集者です)と会話しました。後者のパターンも普通にあるのですね(井の中のカエルですみませんでした)--JapaneseA 2012年2月9日 (木) 11:48 (UTC)[返信]
ブロックされているシェーラ氏については、おおむね前者のパターンが多いですが(利用者‐会話:シェーラ#池内蔵太について利用者‐会話:シェーラ#イブン=マイムーンなど)、後者のパターンでの応答も見られます。
IPユーザーのうち他者との会話が確認できるものについては、以下のようになっています。
以下は、同一人物と断言できる要素と言うには若干弱い気もしますが。
--オオミズナギドリ 2012年2月9日 (木) 11:53 (UTC)[返信]
IP:210.131.156.169はプロバイダも違いますし、期間も他と重複しているため別人であると思います。他のIPとシェーラ氏が使用したとされるIPは全て同じプロバイダです。全てのユーザがブロックされた後にIPで切り替えたと考えれば辻褄があいます。ここまでの過去の話はどうでも良いのですが。さてここからは嫌な事を申し上げねばなりません。列挙されたIPの投稿開始と終了には空きが見られます(例:1つめのIP:2010年1月4日終了 2つめのIP:次は2010年2月3日開始)。この空きの部分(例では1/5~2/2)は果たして編集がなかったのでしょうか?私は発覚していないだけで別のIPで活動をしていたと考えます。これが個人攻撃でブロックされたとかであれば別に追う必要もないのですが、虚偽編集を修正しなければならないため、考慮が必要でしょう。同一プロバイダやIPの範囲で投稿を検索する事ができれば良いのですが、そのような機能はWikipediaに存在するのか私は存じておりません。何にせよ、IPユーザはこれだけじゃないと考えます。エイルン様とIPが別人であった場合、今も活動を続けているのかもしれません。--JapaneseA 2012年2月10日 (金) 06:43 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)プロバイダについてですが、シェーラ氏が使用したと述べているIP:202.224.95.2会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisとIP:210.131.156.169は同じプロバイダです。おそらくは、複数の接続先から編集をしていたのでしょうか。--オオミズナギドリ 2012年2月10日 (金) 11:49 (UTC)[返信]

IP:202.224.95.2会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisとIP:210.131.156.169会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisは別プロバイダですよ(少なくともwho isでは違う結果が出ます)。何か間違えていたらすみません。--JapaneseA 2012年2月10日 (金) 12:04 (UTC)[返信]
確認しました。確かに別のプロバイダです。私のwho isの読み方が間違っていました。シェーラ氏、エイルン氏の両名には大変迷惑な間違いをしたため、深くお詫びさせていただきます。--オオミズナギドリ 2012年2月10日 (金) 12:14 (UTC)[返信]
「被依頼者様達と今まで深く関った方に、当コメント依頼をお知らせしてはいかがでしょうか」という意見に従い、シェーラ氏と数度会話をされておられた水野白楓さん、同じくシェーラ氏と会話を行い、また当該IPユーザーの動向にも関心を持っておられるKotoitoさんに、コメント依頼のお願いを出しました。--オオミズナギドリ 2012年2月11日 (土) 01:47 (UTC)[返信]

オオミズナギドリさんが上の=== 虚偽の出典が提示された記事 ===で指摘された記事について一部ですが記事と参考文献を検証してきました。

以上、オオミズナギドリさんが指摘した記事のうちたった8件だけですが検証したところ、すべてオオミズナギドリさんのご指摘のとおりであることを確認しました。参考文献としてあげられた書籍は出典ではなく、また、まったく無関係な書籍が多いです。これでは「虚偽の出典」と言われても仕方ないです。IPでの投稿を含めて、ご自分の過去の投稿をすべて見直し、本当の出典を脚注形式で提示下さるようにお願いしたいです。たとえばFA/GAクラスの記事でも脚注が100も200もあれば一つくらい脚注の付け間違いはあるかもしれませんが、それはイージーミス。しかし、エイルンさんの『参考文献』についてはイージーミスというのは難しいと思います。エイルンさんは記事の信頼性・検証可能性を真剣に考えていただきたいです。--ぱたごん 2012年2月9日 (木) 11:39 (UTC)[返信]

コメントと検証ありがとうございます。関連性のない書籍を挙げるだけならまだしも、長宗我部元親のような<ref></ref>を使った虚偽の出典の提示は、意図したものにせよ、しなかったものにせよ、非常に厄介なので直ちに改善して頂きたいのです。--オオミズナギドリ 2012年2月9日 (木) 13:44 (UTC)[返信]

  コメント依頼者のご懸念はきわめて妥当性が高いように思われます。疑わしい出典について検証してくださった依頼者オオミズナギドリさん、および追加調査されたぱたごんさんのご苦労に敬意を表します。該当するユーザーによる明確な応答ないし否定材料がない限りは、これ以上出典の疑わしい記事を増やし続ける行為について、慎んでいただく方向に持っていかざるを得ないような気がします。 該当ユーザーが手がけた記事が多数に上ること、および依頼者ほか疑念を呈された利用者からの質問にまともに回答していないことから、今後の検証や記事への措置についても、多くの利用者の協力が必要となるかもしれません。思い当たるのは、今回の件とは全く異なるケースですが(というより真逆に、出典をそのまま丸写ししていたために著作権上の疑義が生じたケース)Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438調査結果)という案件があり、このときは私も参加いたしましたが、有志によって1年に渡って出典調査が行われ、最終的には1600件の記事が削除される結果となりました。このまま該当ユーザーの弁明や修正の無い限り、そのときと同様の調査・削除を行わなければならない可能性もあり、気が重い限りです。該当ユーザーにはWikipediaにおける検証可能性および対話の重要性の理解と、これまで手がけた記事に対する速やかなる説明・修正を求めます--トホホ川 2012年2月9日 (木) 14:53 (UTC)[返信]

  •   コメントエイルンさんの被依頼者のコメントを見ての感想ですが、いまだにわかってないようですね。 >「信長公記」「元親記」など昔の史料でこの場合の出典に関しては史料の原文を投稿すれば信頼していただけるということでよろしいでしょうか?まったく違います。史料の原文を投稿して評価は誰がするのですか?エイルンさんですか!?エイルンさんは自分の評価などを投稿してはなりません。wikipediaに投稿するべきは歴史学者などが書いたきちんとした文献の内容を丸写しでなくその意を忠実に記して下さい。オオミズナギドリさんは歴史分野の優良執筆者です。オオミズナギドリさんの書いた記事が良いお手本です。オオミズナギドリさんの記事を目標にして、オオミズナギドリさんの手法を真似てください。エイルンさんはオオミズナギドリさんになにか文句言ってますが、貴方の行為・・出典を偽るなどとんでもないことです。貴方のいたらない編集の後始末に優良執筆者であるオオミズナギドリさんが貴重な時間を多大に使ったことを忘れないでください。あなたの行為の尻拭いをしてくださっているオオミズナギドリさんに感謝こそすれ文句など言えた義理ではありません。--ぱたごん 2012年2月10日 (金) 10:53 (UTC)[返信]

  コメント オオミズナギドリさん、ぱたごんさん、検証作業お疲れ様です。少なくとも、IP群やエイルンさんの投稿にはかなり疑わしい部分や、誤りが相当数含まれていることは間違いないようです。また、シェーラ氏を活動当時から知っている私としては、IP群は編集傾向・ISPや地域の点から同一人物の可能性が高いですし、エイルンさんについてもその疑いは否定しきれないと思います(※それには、「編集分野の一致」以外に、「ある編集上の特徴(ガイドラインや凡例に記載されていない方式)が一致している例がある」点のためもあるのですが、極めて微細な点ですし、シェーラ氏やそのソックパペットの作成した記事を参考にしただけかもしれないので、それが何かについては触れないでおきます)。別人であるにしても、これまで自分の手掛けた記事についてはきちんと責任を持って対応していただきたく思います。

その点とは別に、上記の(つい先程の)エイルンさんの被依頼者コメントにも妙な点があります。「世界史関係において私が投稿したと言われましても知識の無い私が投稿するのは不可能なのです」とおっしゃっていますが、エイルンさんには世界史分野の記事の編集履歴が存在しています[6][7][8][9][10][11][12])。それも、一見したところ参考資料を元にしたらしい、ある程度の量の加筆や記事作成ですから、「知識の無い私が投稿するのは不可能」という発言との間に齟齬が生じているように思われます。この点についても説明のほど、よろしくお願いいたします。--松茸 2012年2月10日 (金) 10:31 (UTC)[返信]

  コメント お疲れ様です。こちらのコメント依頼、当初より注視しておりました。Wikipediaの信頼性が叫ばれる今日ですら、出典無き記事の作成が多いことは嘆かわしいですが、いずれは第三者か当人により検証されることでしょう。しかし、「虚偽の出典」は、それすらも阻害するもので、かなり悪質な部類(荒らしと同等)と考えます。なかなか時間が取れず、検証作業まで参加できるかわかりませんが、可能な限りお手伝いできればと思います。--Ashtray 2012年2月10日 (金) 12:40 (UTC)[返信]

  こんにちは。オオミズナギドリさんの活力と調査能力にはおそれいります(^-^;。おかげさまで、シェーラ氏・IP氏による「被害」も、だいぶ明らかになってきました。思った以上に広範囲ですねぇ。いろいろ考えましたが、検証作業はお任せすることにし、私は記事を修正・加筆する方向でお手伝いしたいと思います。私の守備範囲は「ベトナム」なので、"胡朝"、"後陳朝"、"陳英宗"、等々を。とはいえ、中世越南史は全くの門外漢なので、勉強を兼ねての編集となりそうです。--Ashtray (talk) 2012年3月12日 (月) 12:43 (UTC)[返信]
  本日、ようやく図書館より『物語ヴェトナムの歴史』を借りてきました。内容は、新書本に古代から近現代まで詰め込んだ通史・概説書でした。この一冊を参考文献に、一人一人の人物伝を書くことは不可能です。もう一つの『人物事典』にも、当該人物の項がないとすれば、虚偽も虚偽!。今更ながら、ゆゆしき問題ですね。全部まとめて削除依頼に出したいくらいです。--Ashtray (talk) 2012年3月25日 (日) 13:36 (UTC)[返信]

  コメント 会話ページで呼びかけいただき参上しました。オオミズナギドリさんには揚げ足取りになってしまって申し訳ないのですが、一点、指摘しておいた方がいいと思うので。『イスラム事典』は平凡社から出版されております。タイトルからわかるとおり、『新イスラム事典』は1982年の『イスラム事典』の改訂版として2002年に出版されたものです。私も旧版を、いま手許にはないのですが所蔵はしております。またオンラインでもだいたい読むことができます[13]。とはいえ、本題のほうが重要でして、これについては改めてもうすこしよく読んでからコメントしたいと思います。松茸さんと同じく、ずいぶんと前からこの辺のIPさんをおっかけていて実は半年ほど前に依頼を立てようかと精査しかけてはいたのです(利用者:Kotoito/調査2)が、なにぶんバタバタしており進んでおりませんでした。--Kotoito 2012年2月11日 (土) 08:30 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。(うわぁ、恥ずかしい)結構前に修正した記事のリンク元をたどって調査の経過を知り、編集履歴をよく見てみたところ、編集期間と投稿スタイルでちょっと引っかかる点があったために、編集分野と文体からも被依頼者の方々が同一人物ではないかと推測したのです。が、利用者ページから直接参照できないページに無許可でリンクを貼るのは不味いんじゃないかと思い、依頼時にはリンクを貼付しておりませんでした。--オオミズナギドリ 2012年2月12日 (日) 02:43 (UTC)[返信]

  コメント お疲れ様です。コメント依頼でかなりの項目が検討対象にあがっていたことに驚いたのでこちらに参りました。イルハン朝やチャガタイ・ウルスのモンゴル王族たちについては自分が率先して書くべき内容でしたが、なかなか時間が取れなかった関係でずるずると先延ばしして加筆せずに来た感じです。該当の項目は立項されてから1年以上経っているものも多いようですが、微妙な表現や出典の検証をしないままのものも多く、いささか忸怩たる思いです(汗 いずれの項目も初版の編集で参考文献のところが「「モンゴル帝国史」(平凡社)」という書かれ方がされていましたが、書誌情報の書き方としては酷くぞんざいな印象を強く受けましたので、これは書名の文献を書誌情報に適った通りに修正するのも実際に検証して確かめるのも骨が折れそうだと、見た後で頭を抱えたのを良く憶えています。検討対象に上がっている項目のうち、自分が手を加えた項目で、初版の文言で削除ないし修正して良いのか迷って結局直せずにそのままにしている項目もいくつかあります。例えば、アルパ・ケウンの場合、初版の「イルハン朝の諸臣はジョチ・ウルスとの戦いで軍が動揺することを恐れて遠縁にあたるアルバを即位させ」というところや「しかしこのような即位のために重臣の権力が強く、君主権は弱かった。」ところはなかなか良い修正は出来ませんでした。幸い、アルパ・ケウンについてはイラン百科事典ARPA KHAN の項目をPeter JACKSONという著名なイルハン朝史研究者が執筆しておりまして、自分もこの記事とPeter JACKSONが典拠に使っているティムール朝前半の歴史家ハーフィズ・アブルー(Ḥāfiẓ-i Abrū)の『集史続編』(Dhayl-i Jāmiʿ al-Tawārīkh)の刊本やミールホーンドの『清浄園』などを見ながら手を加えました。しかし、アルパがラシードゥッディーンの息子でアブー・サイードのワズィールでもあったギヤースッディーン等アブー・サイード陣営の廷臣たちに推戴される形で即位したのは史料上の内容に合っているので問題ないのですが、「遠縁にあたるアルバを即位させ」というところが引っ掛かってここは具体的な修正が出来ませんでした。この文言だと、アルパの即位は血縁的な要因でなされたような印象があるのですが、『集史続編』か『清浄園』か忘れましたが、アブー・サイードが死ぬ間際に遺言したためにアルパが即位した、と書かれてあって、血縁的な要因とはちょっと違う書き方がされていました。「重臣の権力が強く、君主権は弱かった」という部分も、アルパの即位が問題になったのは、イルハン朝全体のクリルタイを経ずにジャライル家やチョバン家などの有力なモンゴル諸候家をはじめとするモンゴル王侯たちの同意も取っていないものだったため、彼らから反発を受けていたことが史料中には書かれており、これからすると「重臣の権力が強く、君主権は弱かった」というのとはちょっと状況が違います。しかし、これらも自分が確認出来てないだけで、実は P. JACKSON や J. A. Boyle などのイルハン朝関係の研究者たちが何かしらの論文か著書で述べているかも知れないと思って手をつけるのを躊躇してしまいまして、この部分は直さずにいました。今回の検討対象にあがっているもののうち、余程明らかな事実誤認などが無い場合、現行記事のこの種の微妙な文言は、そのつど躊躇して前後の部分は改めても手をつけないことが自分の場合かなりあります。項目それ自体は必要ではありますが、量もありますしさりとて1項目を検証するのもなかなか時間の工面が出来ない場合もままありましたので、もう少し身を入れて取り組むべきであったろうかと今になって反省する次第です(汗  検討対象になっている項目で過去に自分も加筆している、加筆する予定であった項目も多く見られますので、何かしら検証が必要なものがありましたら、可能な限りお手伝いしたいと思います。 --Haydar 2012年2月11日 (土) 16:42 (UTC)[返信]

  コメント 今回の件に限らず、近いジャンルにおける良質な記事の選考で、やはり出典との符合に相当の問題が指摘されていたことに遭遇したことがあります。このときの推薦者がほとんど反省の意を示さなかったことを、今回の件と照らしあわすこともよいかも。また、今回のジャンルに関わらず、「プロジェクト」の質、誠実さなどにつき、検証の機会があっていいのかもと感じます。--GDSTCB 2012年2月12日 (日) 04:56 (UTC)[返信]

応急処置の草案 編集

上記IPユーザーが編集した記事のうち、大規模な改稿が行われていない記事について、以下の応急処置を施したいと思います。エイルン氏からの返答がまだであるので、エイルン氏が編集した記事への対処については後にしましょう。テンプレートを貼付した記事、貼付を見送った記事、判断に迷った記事はノートページに記載しています。

{{複数の問題 | 出典の明記 = 20**-* | 参照方法 = 20**-* | 独自研究 = 20**-* }} を貼付し、参考文献・関連文献をコメントアウト。要約にはこのコメント依頼へのリンクを貼付する。

テンプレートとコメントアウトの除去を行う場合には

  • 参考文献に挙げられた書籍と記事に含まれる記述の対応の確認
  • 参考文献で確認できない部分の除去
  • 「〜という」「〜と思われる」「〜だろう」「一説には〜」などの言説、人物評など書籍のページ数を提示する必要性の高い記述には、必ず<ref></ref>を使ってページ数を付記
  • 当該人物が加筆した記事については、当該人物が加筆した部分のみを除去するのであれば、テンプレートとコメントアウトを除去してもオッケー(他の人物が加筆、または出典を確認した箇所は必ず残すこと)

という処置を、将来記事を改善する方にお願いしたいのですが、いかがでしょうか。また、結構な数の記事に影響が及ぶため、Portal‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:日本史で告知を行い、より多くの方の意見を伺いたいと考えています。--オオミズナギドリ 2012年2月9日 (木) 13:44 (UTC)[返信]

過去に調査した記事と他の方からのコメントも踏まえて、改善にあたってこうした処置も必要だと考えました。不備や問題は無いでしょうか。--オオミズナギドリ 2012年2月12日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

  • 『アジア歴史事典』『中国歴代皇帝人物事典』などの辞書・事典類を調査した場合、参照した項目をノートページに書いていただけると、他の人が検証を行う時に役立ちます。
  • 「Aの本を調べてみて、記事に書いてあることが載っていた。でも、Bの本はうちの近くにないから調べていない」場合は、Aの本を参考文献欄に復帰させ、「Aの本で確認できなかった箇所に要検証範囲要出典範囲を貼付する」「情報の出所の殆どがAの本である場合は、複数の問題タグとBの本を除去し、ノートページに『Aでほとんどの情報が確認できたのでBは一旦除去しました。どなたかBについても確認をお願いいたします』」などの処置を取る。
  • ある記述が独自研究であるかどうか判断に悩んだ場合、その箇所を「中立的な表現に書き換える」、その箇所に独自研究範囲要検証を貼付して第三者の判断を仰ぐ、などの処置をお願いいたします。
  • 参考文献に『明史』などの二十四史が含まれており、それを参照して記述を確認(または加筆)した場合、参照した巻数も書いてください。
  • 参考文献にある「『永楽帝』(徳間書店。伴野朗)」は歴史小説です。この本を典拠とする記述を残す、もしくはこの本を使って加筆を行う場合は、歴史上の人物の記事を書くにあたって創作物を参考としていいのか、井戸端プロジェクト‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:人物伝などで第三者から意見を伺うことを強く推奨します。

一つの例をたまたま目撃しただけなのですが、これはやりすぎですね。Takabeg 2012年2月17日 (金) 22:44 (UTC)[返信]

  反対 これはやりすぎですよ。ここの議論も読みましたし、トゥーラーン・シャーの本文も読みました。その上で、複数のタグが貼り付けられのは不適切であると判断しました。呼んだ限り「独自研究」にあたるような内容は確認できませんでしたし、出典の部分がコメントアウトされているので、出典のしようがありませんから、常識的に考えても「出典の方法」に関するタグは不要になります。また、オオミズナキドリさんの記録を見てみますと、どうやら、機械的にタグを貼っていると思われます。日本語版ウィキペディアのしきたりはどうなのかいまひとつ知りませんが、他言語ウィキペディア (複数)では、こうした不要なタグの貼り付け行為がワンダリズムやトロール行為とみなされるケースもありますので、まずは本文を検証してから、どういったタグを貼ればいいのか検討するようにおすすめします。従いまして、「怪しい」と思われたIP利用者が始めた記事を見つけて、複数のタグを無差別に貼り付ける行為には反対です。参考文献に提示されているにもかかわらず、実際に利用されてないことが確認された場合、当該文献 (羅列されているもの)を「コメントアウト」して、要出典タブを添付すれば十分です。Takabeg 2012年2月17日 (金) 23:43 (UTC)[返信]

んー、ウィキペディアと無関係の人間の信頼性を落とした記事を多数投稿した方の編集に対する処置としては、やりすぎどころか手ぬるいとさえ思っています。他言語版の閲覧者の傾向がどうなのかはよく知らないのですが、日本語版ウィキペディアを閲覧する一般人の中には「ウィキペディアは権威ある百科事典だ。書かれていることに間違いは無い」と思っている人が結構いるので、こんな人たちに向けて「この記事に書いている内容はちょっとアヤシイですよ」と注意しておいた方がいいのです。
この編集(アッサリフ・イスマイル・アルマリクノート:アッサリフ・イスマイル・アルマリク)では、虚偽の参考文献の記載と独自研究の記載が同時に行われちゃっているので、あたかも参考文献に挙げられている書籍を執筆した佐藤次高先生と『岩波イスラーム辞典』の編集委員が初版投稿者と同じ主張をしているように見えています。これ、問題無いんですかね? ウィキペディアだけならまだしも、研究者と出版社の信頼性まで損ねているのは看過できません。そして、虚偽の参考文献と独自研究の両方が記載されている記事がこの一つだけだと判断しちゃっていいのでしょうか?
出典の明記については、「提示された参考文献が虚偽のものではないと確認した場合、記事の中に含まれている「言説、人物評など書籍のページ数を提示する必要性の高い記述」(もう一つ併記するなら分析)が編集者の独自研究なのか、れっきとした根拠がある記述かを必ず示してね」という、編集者へのメッセージです。トゥーラーン・シャーで言うなら、二段落目の「このため、妻のシャジャルは〜マムルークに握られる結果となった。」、三段落目の「外敵の脅威が去ると、〜彼らから不満があふれ出した。」という部分ですね。この辺の分析は誰のものなんでしょうか?
「まずは本文を検証してから」とおっしゃっていますが、この方が投稿した記事の量はハンパないです。ページ数が提示されていない記事がほとんどで、検証に時間のかかる事典類が記載されている記事が多数あるので、一つ一つの記事でそれをやると一年超の時間がかかります。実際に利用していない書籍を簡単に確認できるのなら、コメント依頼を提出せずに一人で片づけています。とは言え、一部にはページ数が付記されている記事にも機械的に貼付するのは問題があると考えているので、こうした記事には別途問題に適したテンプレートを貼付します。--オオミズナギドリ 2012年2月18日 (土) 01:01 (UTC)[返信]
  賛成 お疲れ様です。オオミズナギドリさんが仰る通り、対象となっている記事があまりにも膨大ですので、個人的には現状の措置は致し方ないのではないかと思います。トゥーラーン・シャーについても一見大丈夫そうに見えますが、他の記事での虚偽情報の例が実際有るようですので、タグの添付を持って閲覧者に注意を喚起し編集者にも記事内容の検証を促すうえでも、オオミズナギドリさんの措置はやはり現状では妥当なものかなと。
ザンギー朝アイユーブ朝マムルーク朝の記事についてだけを見てみましても、文献表で挙っているもの以外にも、CiNiiの検索などで関連しそうな論文を見付けるなど現状で触れられる限りの文献を使って、編集者各自がひとつひとつ検証と再編集を交互に行って、妥当な内容になったと思われたらノートがまとめページに告知してタグを除去する、という方針でコツコツとやって行く他に無さそうな印象ですし。
 もう一点、記事の検証と同時に改名の問題もありそうです。
トゥーラーン・シャーの記事は、現在ではアイユーブ朝第7代スルターン・サーリフの遺児についてになっていますが、自分などはアイユーブ朝で「トゥーラーン・シャー」と言うとサラーフッディーンの兄でイエメンの総督となった方のトゥーラーン・シャーという印象が強いです。英語版でも"Al-Muazzam Turanshah"となっており、"Turanshah redirects here. For Saladin's brother, see Turan-Shah"と曖昧さ回避のリンクがされていますから、改名と「サラーフッディーンの兄の方のトゥーラーン・シャー」の記事作成も今後の課題になると思います。
 また、ザンギー朝のヌールッディーンの遺児アッサリフ・イスマイル・アルマリクについてもやはり改名せねばならないと思われます。(今までこの人物についてはうっかり見過ごしていました(汗) というのも、この時代のラカブ(尊称)の付け方としては「アッサリフ・イスマイル・アルマリク」という並び方は不自然な印象を受けまして、通例であれば、アル=マリク・アッサーリフ・イスマーイール(「アルマリク・アッサリフ・イスマイル」)などとなるはずです。現在、英語版では"As-Salih Ismail al-Malik"、ドイツ語版では"as-Salih Ismail al-Malik"、フランス語版でもやはりAs-Salih Ismail al-Malikとなっています。特にドイツ語版では"As-Salih Ismail al-Malik, arabisch ‏الصالح إسماعيل الملك‎, DMG aṣ-Ṣāliḥ Ismāʿīl al-Malik, (* 1163; † 1181) war der Sohn von Nur ad-Din,"となっており、アラビア文字表記とそのラテン文字表記が併記されており、これだと確かに「アッサリーフ・イスマーイール・アル=マリク」と読めるので現状の日本語版の記事名もまま妥当かなと思えます。
しかし、佐藤次高先生の本ではヌールッディーン没後の状況について「ヌール・アッディーン没後のダマスクスでは、十一歳の幼い息子イスマーイールが擁立され、「サーリフ(敬虔なる)王」(在位1174-81)と称された。」(『イスラームの「英雄」サラディン』講談社学術文庫 p.115)と書かれており、彼のラカブはやはり「サーリフ(敬虔なる)王」(アル=マリク・アッサーリフ al-Malik aṣ-Ṣāliḥ/ al-Malik al-Ṣāliḥ )で一続きにすべきものだという疑念が持たれます。まだ本文は確認出来ていませんが、イブン・アスィールの『完史』索引を見てみましたら、 الملك الصالح اسماعيل بن نور الدين صاحب حلب al-Malik al-Ṣāliḥ Ismāʿīl b. Nūr al-Dīn Ṣāḥib Ḥalab(アレッポの領主アル=マリク・アッサーリフ・イスマーイール・ブン・ヌールッディーン)と書かれてありました。
 この種の原典史料や専門著書、研究論文などを実見しないと正誤の判断が危ぶまれる例も、他にあるかと思われます。そのため、やはりある程度の検証を経た上での記事編集を行った方が良さそうですので、編集者各位による各々の記事の検証と参考文献の付加を経るまでは、対象となっている記事についてはオオミズナギドリさんの措置でひとまず対処した方が良いかと。検証作業とそれが済んだら報告し、それらをチェックしてタグを除去する体制を整えられれば、現在の状態よりもより良好な状態に改善出来る足掛かりになるのではないかと思われます。--Haydar 2012年2月19日 (日) 13:04 (UTC)[返信]

  報告 Takabegさんの返答が無いまま一週間以上経過したので、応急処置を再開しました。

当該ユーザーが編集した記事の中にはアブドゥッラティーフのように、実際に書籍を参照したことが確認できた記事もありますが、著作権の面でシロだと言い切れるか不安があります。「人物」節にはフランシス・ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』の90ページの訳文がほぼそのまま転載され、「反乱」節では87ページから「欠席裁判」という「他の言葉に言い換えることが可能である創作性のある」表現が転用されていたことを確認しています。また、ここここでも、同じ書籍から文章がほぼそのまま転載されていたこと、ここでは書籍内のコラムのタイトルに使用されていた「危険な恋」が「他の言葉に言い換えることが可能である」にも関わらず節のタイトルに転用されていたことを確認しています。まだ検証していないスルタン・フサインなどの記事でも、同じような訳文の転載と創作性のある表現の転用が行われている可能性は極めて高いです。これ、大丈夫なんでしょうか。--オオミズナギドリ (会話) 2012年3月1日 (木) 11:46 (UTC)[返信]

訳文転載は、適切な引用になっていませんのでまずいと思います。他の言葉に置き換えることが可能な短い用語は微妙です。しかし一定の範囲の説明に特定の用語でタイトルを付けるという意味では著作性が認められそうな気もします。安全側に倒せば削除すべきかもしれません。--ろう(Law soma) D C 2012年3月2日 (金) 01:15 (UTC)[返信]
用語のみの転用を確認した記事についてはひとまず保留し、訳文の転載を確認した記事(アブドゥッラティーフウルグ・ベクシャー・ルフ)については特定の版の削除を依頼しようと思います。--オオミズナギドリ会話2012年3月4日 (日) 00:09 (UTC)[返信]

  報告 Wikipedia:チェックユーザー依頼/エイルン・フレイマー・42掛毛 で氏と同一人物と判定されたアカウントから虚偽の出典が提示された記事が投稿されたことと(ノート:ハリル (西チャガタイ))、Wikipedia:削除依頼/ある書籍の訳文が転載された多数の記事で訳文の転載を確認した記事にはエイルン氏の加筆によるものが複数含まれているため(フマーユーンクトゥブッディーン・アイバク)、他の記事にも著作権侵害の慮がある編集がされた可能性があることを考え、反対が無ければ、エイルン氏(および、ソックパペットと判断されたアカウント)が投稿した記事にも、同様のタグの貼付を行いたく思います。--オオミズナギドリ会話2012年4月21日 (土) 16:06 (UTC)[返信]

当該ユーザーが参考文献・関連文献として記載した書籍 編集

Wikipedia‐ノート:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについてに、タグの貼付が完了し次第、貼付した記事の名称と記載されている参考文献を記載しています。以下の書籍をお持ちの方、あるいは編集で参照する予定のある方は、時間に余裕があればちょろちょろと確認作業を行っていただけると助かります。--オオミズナギドリ 2012年2月16日 (木) 13:22 (UTC)[返信]

最近見た書籍がリストにあり、また図書館に行く予定があるのでわずかですがお手伝いしたいと思います。ですが書籍名だけだとどの記事とつきあわせれば良いか分からないので、該当記事と対応付けする方が協力が得られやすいかと思います。全部一人でやってね、なんていいません。例示して下さればまずそちらからお手伝いいたします。それと「確認しました。大丈夫そうです」と言う蘭を入れると、俯瞰しやすいかと思います--Sillago会話2012年3月13日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
◆ごく一部、カテゴリが違っている部分を修正しました。--ろう(Law soma) D C 2012年3月13日 (火) 23:49 (UTC)署名補完[返信]
ご協力ありがとうございます。記事と書籍の対応と貼付する必要が無いと判断した記事はノートページに記載しているので、ここからノートページにリンクを貼付しました。--オオミズナギドリ会話2012年3月14日 (水) 10:54 (UTC)[返信]

日本史 編集

  • 『秋元家文書』:日光市史編さん委員会『秋元家文書』(日光市史編さん委員会, 1976年)
  • 母利美和・吉田常吉 『井伊直弼』 吉川弘文館 ISBN 4642062866:母利美和『井伊直弼』(幕末維新の個性, 吉川弘文館, 2006年5月)と吉田常吉『井伊直弼』(新装版)(人物叢書, 吉川弘文館, 1985年10月)が混同されている? 両氏の共著は見つからず。
  • 「上杉謙信 戦国最強武将破竹の戦略」(歴史群像):濃越同盟のみ。
  • 『江戸三百藩藩主総覧』 新人物往来社:『江戸三百藩藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』(別冊歴史読本, 新人物往来社, 1997年8月)
  • 福尾猛市郎 『大内義隆』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年。ISBN 4-642-05173-2:福尾猛市郎『大内義隆』(新装版)(人物叢書, 吉川弘文館, 1989年10月)
  • 『大友宗麟 資料集』第4・5巻(大分県教育委員会):大分県教育庁文化課編『大友宗麟 資料集』(大分県先哲叢書, 大分県教育委員会, 1994年3月)
  • 「織田信長家臣人名辞典」(吉川弘文館):谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館, 1995年1月) 2010年11月に第2版刊行。
  • 『鹿児島県史料・旧記雑録後編』1・2([[鹿児島県維新史料編纂所):鹿児島県維新史料編さん所、鹿児島県歴史資料センタ―黎明館より、1981年から1986年にかけて同名の書籍が刊行。
  • 『烏山町史』:烏山町史編集委員会編『烏山町史』(烏山町, 1978年3月)
  • 『喜連川町誌』:喜連川町誌編さん委員会『喜連川町誌』(喜連川町, 1977年11月) 1971年にも喜連川町から同名の書籍が刊行されています。
  • 吉永正春『九州戦国合戦記』(海鳥社、1994):吉永正春『九州戦国合戦記』(海鳥社, 1994年11月) 2006年7月に増補改訂版刊行。
  • 吉永正春『九州戦国史』(葦書房、1981):吉永正春『九州戦国史』(葦書房, 1981年5月)
  • 『三百藩藩主人名事典』 新人物往来社:藩主人名事典編纂委員会編『三百藩藩主人名事典』(新人物往来社)1986年6月から1987年4月にかけて全4巻が刊行されています。
  • 『下野文籍誌』:高宮太郎編『下野文籍志 栃木県の人と書物』(しもつけ社, 1969年12月)の誤植?
  • 『戦国人名事典』(新人物往来社):阿部猛、西村圭子編『戦国人名事典』(新人物往来社, 1987年3月) 1990年9月にコンパクト版刊行。
  • 山本大・小和田哲男『戦国大名家臣団事典』西国編(新人物往来社、1981):山本大、小和田哲男編『戦国大名家臣団事典』西国編(新人物往来社, 1981年8月)
  • 「伊達政宗」(吉川弘文館):小林清治『伊達政宗』(人物叢書, 吉川弘文館, 1959年) 新装版が1985年9月に刊行されています。
  • 大野瑞男『松平信綱』(吉川弘文館、2010年)ISBN 9784642052580:大野瑞男『松平信綱』(新装版)(人物叢書, 吉川弘文館, 2010年9月)
  • 長江正一,『三好長慶』 新装版、 吉川弘文館, 1989.5, 9:長江正一『三好長慶』(新装版)(人物叢書, 吉川弘文館, 1989年5月)

日本史2 編集

  • 『慶長年中卜斎記』:板坂卜斎『慶長年中卜斎記』我自刊我本、明治15、近代デジタルライブラリー所収。他、異本に

早稲田大学蔵本の江戸享和3年の土井利伏の写本『慶長年中記』などがある。

  • 「北越軍談」:
  • 『名将言行録』:
  • 『老人雑話』:

いずれも隆慶一郎の伝奇小説影武者徳川家康や、それに類するものからの孫引きと思われます。関ヶ原の戦いで引用されている『慶長年中卜斎記』の文章を原史料--松平俊介会話) 2013年8月4日 (日) 11:56 (UTC)と比較すると、史料からの引用に比べ、漢字がかなにひらかれ(例、莞爾々々→にこにこ)、写本『慶長年中記』と『慶長年中卜斎記』とを足して2で割ったような記述にされておりました。尚、同著は伝奇小説という小説の形式上、原史料とは異なる描写がされていることが往々にしてありますので、ウィキペディアの出典として用いるのには全く不適切です。伝奇小説では虚偽史料を用いてもっともらしくする手法がよく用いられており(例を上げれば周大荒『反三国志演義』が発見したと称する『三国旧志』、半村良『産霊山秘録』に登場する複数の虚偽史料など)、影武者徳川家康が引用する史料もこの類で、『徳川実記』に出てこない話が『徳川実記』よりとして普通に出てきたりします。なお、出典を世界逸話大辞典と称しているものにも、影武者徳川家康からの話があるようです(藤堂高虎徳川秀忠で確認)。--松平俊介会話) 2013年7月20日 (土) 01:36 (UTC)--松平俊介会話2013年8月3日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

世界史 編集

  • 「アジア歴史事典」(平凡社)、『アジア歴史事典』(平凡社):『アジア歴史事典』(平凡社, 1959年) 多数の記事で出典に挙げられています。
  • 「アフリカの歴史」(同胞社):『ユネスコ・アフリカの歴史』(同朋舎出版)邦訳は1巻,4巻,7巻のみ刊行。時代的に、4巻の上下を参照するのがいいかもしれません。 Category:マリーン朝の君主に含まれる記事の内当該ユーザーが立項した記事4つと、アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・アル=ムスタンスィルで確認。
  • 「イスラム事典」(平凡社):イスラム史関連の記事に多く見られます。
  • 「イスラーム事典」(岩波書店)『岩波イスラーム辞典』(岩波書店, 2002年2月)?
  • 「岩波イスラーム事典」(岩波書店):『岩波イスラーム辞典』(岩波書店, 2002年2月)
  • 「ヴェトナムの歴史」(中央公論社):小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』(中公新書, 中央公論社, 1997年7月)
  • 『永楽帝』(寺田隆信、1997年、中央公論社、ISBN 978-4122027992):寺田隆信『永楽帝』(中公文庫, 中央公論社, 1997年2月)
  • 『永楽帝』(徳間書店。伴野朗):伴野朗『永楽帝』(徳間書店, 1999年) 歴史小説です。
  • 「エジプト・マムルーク朝」(近藤出版社)、「エジプト マムルーク王朝」(近藤出版社):大原与一郎『エジプト マムルーク王朝』(近藤出版社, 1976年10月)? Category:マムルーク朝の君主に含まれる記事の内、当該ユーザーが立項・加筆したほぼすべての記事で挙げられています。
  • 「三国志」(筑摩書房)、「正史 三国志 5 蜀書」 (陳寿 著、裴松之 注、井波律子 訳) ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08045-7:1992年から1993年にかけて刊行されたちくま学芸文庫版、1977年2月から1989年にかけて刊行された世界古典文学全集版の二種を確認。
  • 「三国志」(陳寿。中華書局):原文はWebでも閲覧可能(三国志 (歴史書)
  • 「史記」(司馬遷。中華書局):史記
  • 『史記の事典』(青木五郎、中村嘉弘。大修館書店):青木五郎、中村嘉弘編著『史記の事典』(大修館書店, 2002年7月)
  • 『十八の子 李巌と李自成』(小前亮):小前亮『十八の子 : 李巌と李自成』(講談社, 2007年11月) 歴史小説です。2010年6月に講談社文庫からも刊行。記載を確認できたのは王承恩朱徽セのみ。
  • 「三国時代の戦乱」(新人物往来社):狩野直禎『三国時代の戦乱』(新人物往来社, 1991年7月)
  • 「世界史人名事典」(山川出版社):水村光男編著『世界史のための人名辞典』増補版(山川出版社, 2006年4月)かも? WebcatPlusの一致検索では同名の書籍は見つかりませんでした。インノケンティウス3世 (ローマ教皇)のみ。
  • 『世界人物逸話大事典』(角川書店) 朝倉治彦 三浦一郎 『世界人物逸話大事典』 角川書店 平成8年2月 ISBN 978-4-040-31900-1:朝倉治彦, 三浦一郎編『世界人物逸話大事典』(角川書店, 1996年2月)
  • 「中央アジア史」(山川出版社):江上波夫編『中央アジア史』(世界各国史, 山川出版社, 1987年1月)
  • 「中央アジア歴史群像」(岩波書店):加藤九祚『中央アジア歴史群像』(岩波新書, 岩波書店, 1995年11月)
  • 「中央ユーラシア史」(山川出版社):小松久雄編『中央ユーラシア史』(新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)
  • 「中世インドの歴史」(山川出版社):サティーシュ・チャンドラ『中世インドの歴史』(小名康之、長島弘訳, 山川出版社, 1999年3月)
  • 『中国歴代皇帝人物事典』 河出書房新社:岡崎由美、王敏監修『中国歴代皇帝人物事典』 (河出書房新社, 1999年2月) Category:明の皇族に含まれる記事のうち、当該ユーザーが立項・加筆したほぼすべての記事に記載されています。
  • 『東南アジアを知る事典』(平凡社):1986年7月に出版されたオリジナル、1999年3月の増補版、2008年6月の新版の三種があります。
  • 「西アジア史1」(山川出版社)、佐藤次高『西アジア史』1巻(山川出版社):佐藤次高編『西アジア史 1 アラブ』(新版世界各国史, 山川出版社, 2002年3月)
  • 「西アジア史2 イラン・トルコ」(山川出版社):永田雄三編『西アジア史 2 イラン・トルコ』(新版世界各国史, 山川出版社, 2002年8月)
  • 「ベトナム人名人物事典」:本保弘文『ベトナム人名人物事典』(暁印書館, 1998年11月) Category:陳朝の君主に含まれる記事の内、当該人物が立項したすべての記事に記載を確認しています。
  • 『ベトナムの事典』(角川書店. 同朋舎):『ベトナムの事典』(同朋舎, 1999年6月)
  • 『明史』:原文はWebでも閲覧可能。(明史Category:明代の人物に含まれる記事の内、当該人物が立項したほぼ全ての記事に記載されています。
  • 『明の太祖 朱元璋』(檀上寛、1994年、白帝社、ISBN 978-4891742256):矢嶋美都子、楊麗瓊『明の太祖朱元璋』(中国歴史人物選, 白帝社, 1995年)かも? WebcatPlusの一致検索では、檀上寛氏の著書の中に同名の物は無し。
  • 『ムガル皇帝歴代誌』(創元社)、フランシス・ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』(創元社.2009年5月):フランシス・ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』(小名康之監修, 創元社, 2009年5月)
  • 「モンゴル帝国史」(平凡社)、ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史』(1989年、平凡社、ISBN 4582801102):C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』1-6巻(佐口透訳注,東洋文庫, 平凡社, 1968年3月 - 1979年11月)
  • 『ローマ教皇事典』(三交社):マシュー・バンソン『ローマ教皇事典』(長崎恵子、長崎麻子訳, 三交社, 2000年8月)
  • 『ローマ教皇歴代誌』(創元社):P.G.マックスウェル-スチュアート『ローマ教皇歴代誌』(月森左知、菅沼裕乃訳, 創元社, 1999年12月) Category:教皇Category:対立教皇に含まれる記事の内、当該人物が立項したほぼすべての記事で記載されていることを確認しています。
  • 「ロシア皇帝歴代誌」(創元社):デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』(栗生沢猛夫監修, 月森左知訳, 創元社, 2001年7月)

まとめ 編集

シェーラが書いた記事は多すぎます。一人では手に負えません。また、シェーラが書いた記事でほとんど他の利用者による改正が見られないもの、改正されたとしても「カテゴリ関係」程度でシェーラが書いた文章が変わっておらず、シェーラが初版の場合には「

」を記事に貼る、その記事の削除依頼を出すなどの措置が必要だと感じます。ただ、量が多すぎて貼るのも削除依頼をいちいち出すのも面倒になっています。どなたか手伝ってください。--ケルケル会話2015年4月28日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

  コメント該当ユーザーの活動は今しがた把握したばかりであり、ここにコメントするべきかどうか迷ったのですが、利用者:ケルケルさんによって数年ぶん巻き戻しされた白竜 (漫画)については僕が差し戻させていただきました。確かに少々信憑性に疑問のある記述もありましたが(一部僕が先日直したものもある)、即刻除去が必要なほど悪質な記述はざっと見た限り見当たらず、特に大きなトラブルもなく進行していた記事です。テンプレートで議論を呼びかけるのはともかく、何の提言もなしに差し戻すのはやめてください。あなたが巻き戻した他の記事については専門外なので今は判断しませんが、本当に巻き戻して良いものだったのですか?--Higasikatatom会話2015年4月30日 (木) 13:05 (UTC)[返信]

コメント依頼をしました 編集

ケルケルさんが4月28日に行った編集が妥当か判断しかねたため、失礼ではありますがコメント依頼を出しました。ケルケルさんは上記テンプレートを多数の記事に貼りつけたほか、10件の記事を大幅に巻き戻しました。うち8件が中国の歴史関係、あと2件がドラゴンボール ZENKAIバトルロイヤル白竜 (漫画)です。白竜については確かに同一ユーザーの複数アカウントの編集が疑われるものでしたが、内容面は(自分で気付いた範囲では)少々勘違いが見つかった程度で、自分を含む別ユーザーの編集も全く行われていないわけではありません。記事そのものに重大な問題はないと判断し、巻き戻しを取り消しました。

もっとも、白竜にしろどこかからパクった文章があった可能性はあるのですが(悪質ユーザーの記事と知らなかったので、パクリ関係は調べていませんでした。機会を見て確認しておこうと思います)、仮に削除が妥当な記事だったにしろ、こういう強引な差し戻しをされては削除依頼もしにくくなるのではないでしょうか。白竜以外の9件の記事についても、ケルケルさんの差し戻しを取り消したほうがいいように思うのですが、全く専門外の自分に判断がつかない記事ばかりであるためご意見をお願いします。--Higasikatatom会話2015年5月2日 (土) 13:24 (UTC)[返信]

中国史の記事に関しては

  • 当該LTAは資料の記述を読んでの編集者個人の推測を故意に記載している([14]
  • 当該LTAはが編集した記事の多くに資料の誤読に基づく記述が多く見られる([15]
  • 出典が付されていても内容が極めて怪しい([16][17]
  • 差し戻された記事のいくつかに参考文献として記載されている『新十八史略』は中国文学畑の人間が一般に向けて書いた書籍であるが、「中国史」の分野における信頼できる情報源に相当するか

という問題があるので、「独自研究が含まれておらず、著作権の侵害が行われていないことが査読によって確認され」かつ「『新十八史略』の扱いについて信頼できる情報源に相当するか否かの議論を行い、合意ができた」上で差し戻すことが望ましい。分量こそ多くても内容が怪しく、素人の考えが研究者の見解に擬されている、一見もっともらしく見えるがウィキペディアの信用性と研究者の名誉を落とす疑いのある文章にあえて戻す必要はないと考えます。--オオミズナギドリ会話2015年5月2日 (土) 15:10 (UTC)[返信]

コメントありがとうございました。中国史関係8記事についてはきちんと目を通されたようなので、差し戻し必要なしという意見了解しました。そちらの判断にお任せします。
ドラゴンボール ZENKAIバトルロイヤルについては、私もよく知らないなりに見た感じでは出典自体があまりないのと、虚偽というよりは主観(独自研究)が入ってるという印象で、まあ素人の書いた記事の域を出るものではありませんが、ゲームの記事なんてこんなもんで、あえて消すほどでもないかなと…。該当ゲームに関連書籍は無いようなので、ネット上からのパクリが見つからなければたぶん著作権的には問題ない記事だと判断しますし、何か検証が必要という旨のテンプレートをつけて復帰も視野に入れています。それとも差し戻さずに「特定ユーザーの編集につき大幅に差し戻したので、加筆をお願いします」みたいなテンプレートをつけたほうが良いでしょうか?
白竜に関しても、とりあえず私の差し戻しのままとするつもりで、同様のテンプレートをつけることを検討します。著作権関係はすいませんが、近いうちに確認できる範囲で調査します。

できればケルケルさん本人にもコメントいただきたかったので待っていましたが、音沙汰なしのためひとまずコメントさせていただきました。--Higasikatatom会話) 2015年5月7日 (木) 10:52 (UTC)遅くなりましたが、該当2記事については注意テンプレートとノートでの説明を追加しました。--Higasikatatom会話2015年5月24日 (日) 12:19 (UTC)[返信]

オオミズナギドリさんがケルケルさんのノートで書きこんでいて気になっていたのですが、利用者利用者:テスタテイル会話 / 投稿記録 / 記録さんがケルケルさんと極めてよく似た投稿を行っているようですので、念の為コメント依頼を出し直そうかと思います。投稿の是非もさることながら、投稿傾向に問題を感じますので…。--Higasikatatom会話2015年5月30日 (土) 06:23 (UTC)[返信]

その後特に動きが無かったため、けっきょく上記のテスタテイルさんの件でのコメント依頼はしませんでした。が、本日別のユーザーが同一の編集を行いましたので、改めてノート:白竜 (漫画)にコメント依頼を出したことを記載しておきます。--Higasikatatom会話2015年9月8日 (火) 11:12 (UTC)[返信]