「勿来関」の版間の差分

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=== 文学作品による推定 ===
11世紀に『[[平中物語]]』の一節を引いて[[能因]]が[[遠江国]]([[静岡県]]西部)に所在すると考えた『[[能因歌枕]]』の説のほか、17世紀に[[西山宗因]]が[[紀行文]]『[[宗因奥州紀行巻]]』のなかで「なこその関を越て」[[磐城平藩]]領に入っていると記していることなどから、現在の[[福島県]][[いわき市]]に長らく比定されている。[[吉田松陰]]の『東北遊日記抄』にも現いわき市[[勿来|勿来町]][[関田村|関田]][[小字|字]]関山付近を「勿来故関」と記録されている。ただし、「なこそ」の地名がこの周辺に存在した証はない。
 
福島県いわき市勿来町に所在したと考えられている[[菊多関]]の別名とする説もあるが、最近では区別されている。