「野洲川」の版間の差分

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[[鈴鹿山脈]]の[[御在所岳|御在所山]](標高1,210m)から発し、途中で[[野洲川ダム]]と[[青土ダム]]の2つのダムを経て[[甲賀市]]の旧[[土山町]]地域を西に流れる。[[湖南市]]と旧[[水口町]]南西部の堺で[[杣川]](''そまがわ'')が合流する。
 
杣川合流点からは北西に向きが変わり石部地先の狭窄部から[[扇状地]]を形成し、[[栗東市]]の北部、川を挟んで東岸の[[野洲市]]に[[三上山]]('''近江富士'''、標高432m)がそびえる辺りから、やや北流へと転じる。下流域では概ね西岸が[[守山市]]、東岸が野洲市となり、守山市北部で琵琶湖へと注ぐ。河口よりやや西方に、対岸の[[大津市]]堅田と結ぶ[[琵琶湖大橋]]が架かる。河口は野洲川[[三角州|デルタ]]を形成し、南流と北流に分かれていたが、昭和54年6月2日に三角州を貫くように放水路が完成し、現在の流れとなった。
 
杣川流域から栗東市にかけて[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[草津線]]が、甲賀市土山町から栗東市まで[[国道1号]](東海道)が並行する。国道1号の通る'''土山'''(旧土山町)、'''水口'''(旧水口町)、'''石部'''(旧石部町)は、それぞれ[[東海道五十三次]]の[[宿場町]]であった。旧[[水口町]]はまた、[[幕末]]に至るまで水口藩2万5千石の[[城下町]]でもあり、石垣と堀が今も残る。杣川に沿う旧[[甲南町]]には[[甲賀流]]忍術屋敷がある。