「パレオロゴス家」の版間の差分
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[[1454年]]に[[コンスタンティノポリ]]の陥落で[[東ローマ帝国]]が[[オスマン帝国]]に滅ぼされると、パレオロゴス家の当主で皇帝[[コンスタンティノス11世]]は戦死し嫡流は断絶した。しかし、彼の弟[[デメトリオス]]と[[ソマス・パレオロゴス|トーマース]]など傍流は残り[[イタリア]]に亡命。貴族となった。[[ルネサンス]]の頃にはイタリアの有力貴族に数えられ、「ビザンチン大公パレオロゴ家」を称していた。しかし「ビザンチン大公」が「[[イェルサレム王国|イェルサレム王]]」と同様に実態がないのは言うまでもない。
[[Category:東ローマ帝国|はれおろこすけ]]
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