「淡路鉄道」の版間の差分

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* '''モハニ2000型 2008号(のちモハ2008号)''' - 旧ガソリンカーキハ二5号。1950年電車化。制御器KR-8、電動機50PS×4、台車ブリル772E(旧1004号)、自重21.0t。1954年、運輸省の補助金を受けて駆動方式を[[垂直カルダン駆動方式|垂直カルダン]]に改造したが、中小私鉄が当時最新式の駆動形式をとるという大英断であった。同時に台車はDT10に、電動機は神戸製鋼製TBQ-25,75PS×4に、制御器をRPC101型にそれぞれ改造し、自重26.2t、最大高4400mmとなる。1955年には台車を改造。台車枠と釣合梁を振動防止のためのゴムで挟むイコライザ止めで結び、軸受けをコロ軸にするなどの改良を行い、自重23.8t、最大高4320mmとなる。1958年、荷物室を撤去し、形式をモハに変更。乗務員扉を従来の運転台側のみから反対側にも設置して、貫通化、ドアエンジン装備を行い、自重24.0t、定員100人(座席42人)、最大高4270mmとなる。この車両も仕様が他車と異なるため連結は行われなかった。
*'''モハ2000型 2009号''' - 旧ガソリンカーキハニ3号。1956年電車化。モハニ1001号の電動機WH-101H 50ps×2を流用。制御器はPC総括式。電車化に際して手荷物室も撤去。最大寸法も長さ13120×高さ2640×幅4050mmm、自重17.5t、定員90人(座席40人)となる。1958年ドアエンジン装備。晩年はモーターを撤去。パンタグラフを上げないで1003号と組んでいた。
*'''モハ1000型 1010号''' - 1011号とともに1956年、南海から譲渡。旧南海電8型132号で1924年梅鉢鉄工製。正面5枚窓ダブルルーフの木造車であった。120号、158号、705号と改番を重ね、淡路入線時は1025号であった。定員90名(座席56名)、自重31.50t、制御器日立PR-200=N5型総括式、台車はブリル27MCB2、電動機はGE-218B,52KW×4、ギア比22:65。1957年早くも昭和車両において半鋼体化。最大寸法長さ15900×高さ2542×幅4300mm、定員90人(座席52人)、自重33.0t、正面3枚窓貫通化というまとまった外見になる。1956年電磁直通ブレーキを装備、自重が33.2tとなる。廃線後、1011号とともに水間鉄道に譲渡。モハ362号となり1971年ごろまで活躍し使用されていた。
*'''モハ1000型 1011号''' - 1956年南海から譲渡。旧南海電5型120号で1921年川崎造船製。前述の1004・1005と同形式。108号、528号、718号、703号、1027号を経て淡路に入線。1957年、1010号とともに半鋼体化。以降は1010号や1005号と組んでいた。廃線後、1010号とともに唯一解体を免れ水間鉄道に譲渡。モハ363号となる。始め、淡路鉄道の塗装色であったが、1010号ともども茶色に改装。これまた1971年ごろまで活躍し使用されていた。
*'''モハ600型 609号、610号''' - 1961年、[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]から1924年[[藤永田造船所]]製[[阪神601形電車|609号、610号]]2両をもらい受け、台車や部品を自社工場で調達して走らせた。609号は旧1002号の台車加藤製ボールドウィン、610号はクハ101のブリル27GE1を流用、電動機はTDK30型53KW×2を制御器はGEゼネラル・エレクトリック社PC-5型をそれぞれ2両とも使用したが、制動器は阪神時代のままAMAだったので、他車とは連結できなかった。正面5枚窓貫通式の独特の前面を持ち阪神時代の面影を強く残していた。なお、初めはモハ1012・クハ103号にする予定で(のち両車とも電動車化して<!--クハ103は-->1013号に変更)あったが、既に4か所も釘抜き番号が装備されていたことから、あえて改番にも及ばないとして変更しなかった。
*'''クハ100型 101号''' - 元はモハニ1001号、1953年クハとなる。最大寸法長さ15328×高さ2640×幅3550mm。自重19t、定員100人(座席65人)。1961年廃車。
*'''クハ110型 111号''' - 元キハニ2号、1952年クハとなる。福良側運転台撤去により定員が90人(座席36人)に増加、自重13.0tとなる。さらに1957年、手荷物室撤去、福良側の貫通幌設置、運転室の拡大、乗務員扉増設などの改良を行い、2006号と組んでいた。
*'''クハ110型 112号''' - 元キハニ4号、1952年にキハニ2号と共にクハ化され、福良側運転台撤去、定員100人(座席43人)、自重14.5tとなる。1959年運転室拡大、両側の貫通化。乗務員扉設置による改造で定員100人(座席40人)となった。1002号と組んでいた。
*'''モニ500号''' - 旧国鉄[[国鉄モヤ4形電車|モヤ4003号]]。1919年日本車両製木造の無蓋電動貨車(1920年製の説もあり)貨車牽引のため残されていた蒸気機関車の代替として、1950年払い下げを受ける。600V用に改造、また連結器を連環式に改造し路線廃止まで使用していた。最大寸法長さ15900×高さ2744×幅4200㎜。自重10t。1952年鋼体化され、最大寸法15900×2700×4200mm自重30tとなる。主として保線作業や貨車牽引などに従事した。
 
== その他 ==