「ノート:中学造士館」の版間の差分

(新規。本記事の編集について。)
* 中学造士館の後裔についても同様で、複数の出典(甲南や前身の関係ではないものも含む)を文中で示しながら記述されたものを、「内容の検証可能性は結局確保できていない」「出典の一部については著しく信頼性を欠いたものも含む」といった理由で削除されることがあります。
第三者の皆様から幅広いご意見をお待ちしております。--[[利用者:飛鳥リョオ|飛鳥リョオ]]([[利用者‐会話:飛鳥リョオ|会話]]) 2012年9月19日 (水) 03:13 (UTC)
 
 
:まず「文部省年報に基づき明らかな間違い」としたのは、明治30年に第一中学校の生徒を移籍した事実を明治31年としている誤りについてであり,授業料の件ではありません。(飛鳥リョオ氏はコメントされた部分について検証すらせず、記事を元に戻しているようです)
::さて「「官立」と冠していながら国庫による支出が皆無で授業料が高く、貧困による退学者が多かった」という記述削除の件、出典もなくはないですが、わざわざ必要でしょうか?すでに明治二十年造士館騒動の箇所で飛鳥リョオ氏がご自身で造士館生は通説と異なり、学費が問題となるような学生でないという原口泉氏の考察まで引用しておりますので。また造士館の授業料が低く設定されていることは別の機会に「甲南高等学校」のノートに記述したので、史料的裏づけの詳細はそちらを参照していただくことにしましょう。飛鳥リョオ氏は小生独自の見解により削除したように書いておられますが、削除したのは(授業料が)「高い」だの「安い」だの個人の金銭感覚に依存する表現は事典の記述として適切でなかろうという理由からです。仮にこの授業料を安いとしている出典があったとしてもそのように記述すべきとは思いません。事典の記述としては、史料に基づき造士館の授業料が他の高等中学校より低く設定されていることをただ単に記述する方がよかろうと思っています。この授業料が高かったという記述自体には、史料的裏づけは何もありません。
:また飛鳥リョオ氏は併記すべきとしていますが、史料的裏づけがあるものとないものとを等しく扱って併記するのは中立的な観点という面で適切でないでしょう。
:中学造士館の後裔については、飛鳥リョオ氏はよく資料を集められていると思います。ただし、ご自身の見解に沿った出典についてはという条件付きですが。これは何も飛鳥リョオ氏だけでなく、甲南高校が造士館とのつながりとして記述する沿革は都合よく題材を取り上げてそういったイメージを作り上げていく感じですね。厳密に精査すると実は造士館とは何ら関与がないことが明らかになるのですけれど。しかし、事典の記述がそれでは困ると思いましたので、自分なりには以下の視点での記述が必要かと思っています。(たぶん、このあたりが閲覧者の知りたいことだと思いましたので)
:::1° 中学造士館とその後裔校との継続性を示す公式な文書の存在(現在のところ、第七高等学校造士館一覧しかありません)
:::2° 当の島津家がどのようにとらえている(いた)のか(尚古集成館からの発信)
:::3° 後裔校の候補を中学造士館生はどうみなしているか(後裔校側からはいくらもこじつけるでしょうが、こじつけられた本人たちはどう思っていたか)
:::4° 地元鹿児島での捉えられ方(この部分は飛鳥リョオ氏ががんばると思います)
:上でBaldwin氏が書かれているようなことなんだろうと想像しますが、結局、鹿児島県の史料の貧弱さにつきると思います。田中智子氏の批評は少々ひどい感じもしますが否定もできません。[http://home.hiroshima-u.ac.jp/komiyama/1880/letter/1880Newsletter22.pdf](要するに書いてあることは信用できないから本人にヒアリングしたいっていうこと。ここまで酷評されているのも珍しい。これを真に受けるとここらの出典は「鹿児島県史」から派生していますから、ほとんどが信頼性に乏しい情報源というお墨付きをいただいたことに)故人を悪く言うつもりはありませんが、何となく二中・甲南関係者の記述で鹿児島の方には残念な感じになっていますね。そういう背景があって極力、無理な記述は削除しているところもあります。--[[特別:投稿記録/133.44.1.221|133.44.1.221]] 2012年9月20日 (木) 23:07 (UTC)
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