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*[[1870年]](明治3年)1月6日、法律修行の為に[[アメリカ]][[留学]]を命ぜれて、その留学生の為の書生長を仰せ付けられた。後にこれはイギリス留学に場所を変更せられ、[[馬場辰猪]]、[[国澤新九郎]]、[[深尾貝作]]、[[松井正水]]を率いる[[土佐藩]]ロンドン留学生の団長を仰せ付けられる。同年7月21日、「パシフィック・メイル」号に乗船し、横浜からアメリカ経由で、イギリスに渡航した。
*ロンドン留学中に[[馬場辰猪]]と決闘して腕を負傷した。
*8年の留学を経て、[[1878年]](明治11年)8月27日、高知に帰郷した。しかし、神経衰弱となり、[[1879年]](明治12年)5月20日、上京して[[芝区]]金杉に住む親友の[[吉田正春]]([[吉田東洋]]の嫡男)を訪ね、同所で自殺した。享年32歳。墓は、[[東京]]の[[谷中霊園]]にあり、吉田正春と真辺正精の墓は仲良く並んで建てられている。また、分骨墓が高知市の丹中山の真辺家累代墓地にある。
 
== 家族 ==
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* [[吉田正春]]
* [[谷中霊園]](乙8号5側に真辺正精の墓がある)
* [[馬場辰猪]]
 
== 参考文献 ==
*『高知県人名事典』[[高知市民図書館]]、[[1970年]]
*『土佐の墓』山本泰三著、土佐史談会
*『三百藩家臣人名事典(第6巻)』家臣人名事典編纂委員会編、新人物往来社